2002年9月21日 新潟日報掲載

無重力漂う心象風景 宮柊二 + レホビッチ展

詩と絵 時代映す共作

大倉 宏(美術評論家)

 『73東京幻想』という本がある。発行はウナックトウキョウ。デザインは柴永文夫。タイトルの通り29年前に発行された詩画集だ。
 詩を書いたのは歌人の宮柊二。絵はポーランドの画家ガーベル・レホビッチ。ガーベルがこの年日本に滞在して描いた油彩、リトグラフに宮が詩を賦した。
 「ある春の日/東京三原橋の画廊で/ガーベル・レホビッチ氏の「東京幻想」を見た/赤と黄と青と緑と…/土くさい絵具の色のあたたかさ…絵を見廻りながら/ふと口を衝いた/古倣の即興詩」と後書きに書かれているように、宮はさまざまな古い詩形(小唄、催馬楽、俳句、隆達節など)で絵に戯れかけるように言葉を寄せている。異国の二人の夢想が出合った幸福のドキュメントというだけの詩画集でないことは、年号を刻んだ本のタイトルが物語る。
 二人を出合わせたのも、展覧会を構成したのも、ガーベルが連作を制作する場を作り出したのも、ウナックトウキョウという美術運動体を主宰する海上雅臣だった。
 今回新潟の2会場で、29年前のこの共作を紹介することになったのは宮柊二が新潟(北魚堀之内町)の生まれで、ガーベルが当時佐渡に来て鬼太鼓座に出会った(短編映画にその情景が記録されている)などの縁からだが、全面的協力をしてくださった海上さんに、なぜ二人で、73年の東京だったのか、という話を私はうかつにもまだ詳しく聞いていない。だが、いわゆる記録とは別形での時代のドキュメントが意図されていたのは確かだと感じる。
 73年は高度成長のただ中であり、オイルショックでその基盤の脆弱があらわになった年だ。東京では高速道路やオフィスビルの建設ラッシュが続いていた。その異様な熱気に当時共産圏から来たガーベルは目を見張ったという。とどまることを知らない右肩あがりの時代の熱が、火照るような絵肌に転写されている。しかしガーベルの絵に繰り返し描かれる高速道路は、まるで重さのないリボンのようだ。熱さの底の軽さ、足場の不在を、異国の画家は告発とは違う言葉で語っている。
 戦争の記憶を一貫して歌の底に置いた宮にも70年代の日本の明るさは、ただ明るいだけとは映っていなかった。酔って舞うような言葉のひだから、その体感は伝わる。
 天は暮れ 地も暮れ/地下こそ現世/犇めきて自動車/顔伏せて人ら往き交ひ/声なき声が叫喚し/おしとど としとど/黄泉比良坂のみ、真赤/おしとど としとど
 赤い闇の上を白い川のような道路が流れ翼のある人力車が飛ぶ絵に付した詩。
 無重力の中を這うような今の私たちの時代の離陸の風景が、遠景ではなく、ごく間近に、というより自分の体の中に見えてくるような心象を、この不思議な本から私は受け取る。