1996年5月22日 新潟日報 
 


色あせぬ不思議な魅力


大倉 宏(美術評論家)

 田畑あきら子展が、東京京橋の画廊で開かれている。
 故郷の巻や新潟などでの最後のまとまった遺作展から19年。新潟市美術館で他の四作家とともに紹介された展覧会、そして美術随筆「気まぐれ美術館」で田畑を全国的に紹介した洲之内徹による幻の遺作展(氏の急逝で実現しなかった)から9年ぶり。田畑の死から数えると、実に27年目の回顧展になる。
 わずか28歳で病死した、生前知人たちの間での評価は高かったとはいえ世間的には無名だった画家の遺作が、時に長いインターバルを置きながら繰り返し展観されてきたのは、洲之内徹を含め、その時々に田畑の絵の(そして詩の)魅力に憑かれた人達がいたからである。今回の展覧会を企画した南指舎という画家、写真家のグループも例外ではない。
 準備の段階で、私も南指舎の人々と一緒に久しぶりに遺作と対面したが、あらためてその不思議な魅力を感じ、動かされた。
 田畑が武蔵野美術学校洋画科に入学したのは1959年。それからの60年代にほぼ重なる十年が、彼女の制作期間だった。この60年代は「美術界」の一部で「反芸術」と呼ばれた既成の形式を破壊する様々な表現が試みられた時期であり、田畑も生前の個展では切り抜きの赤いハートをつけた黒いドレスのオブジェを並べたりしたという。音楽や読書、雑物収集や詩作といった絵画以外のことに興味を持ったり、時間を費やすことが多かったのも、生来の資質とともに、こうした時代の空気が作用していたかも知れない。
 絵画という既成形式への攻撃は、彼女の場合、描くより消すことへの執着という形で初期の素描等に現れている。頻繁にノートやスケッチブックに書きこんでいた詩の、その言葉(文字)をある時期から画面に書きこむようになるのも、その延長だったろう。
 そうした試み自体は、必ずしも独自のものではない。しかし彼女の場合、それは既成の絵画的イメージの枠に収まらない固有の感覚の場へ絵を連れ出そうとする行為として、時代の影響を受けつつも、いわば内からつかまれた方法だったと見える。今日方々の美術館や展覧会で目にする同じ60年代の「反芸術」的作品が、時代の熱気を伝えはしても、どこか古びた過去の作品という印象を否めないのに対し、彼女の絵がなお新鮮な印象をもたらすことが、なによりもそれを雄弁に証している。
 画中に文字(コトバ)がが現れる頃から(おそらくそのコトバという穴を通って)非視覚的な感覚のそよぎが、絵に流れはじめる。風はやがて、肉感的でありながら大きな広がりに漂う浮遊感をはらむ筆触や線に変容する。
 今回の会場に並ぶ、早すぎた晩年に一気に描かれたという何点もの白い美しい油彩画や、今は新潟県立近代美術館に収蔵されているやはり晩年の素描群(今秋常設展示で一括展観される予定という)は、この希有な個の多層的な内世界が、そのあいまいさのままそっくり絵に剥きだされたような独特の感触で見る者を揺らす。
 六十年代という喧噪の時代が葉陰に置いていった、もっとも豊かな収穫の一つがここにはある。こうした仕事の再評価を通して、定番化した作品で語られがちな六十年代という時代の見方を問い直す必要があるのではないか。そんな批評の作業をも挑発させられる展覧会である。
(「田畑あきら子 ―絵画たちと言葉たち―」はギャラリー川船で開催)