1996年11月18日 新潟日報 
 


色あせぬ素描や油彩  夭折の画家・田畑あきら子展


藤由暁男(福島女子短期大助教授)

 田畑あきら子が28歳の若さで世を去ってから、彼女の人生と同じ年月が過ぎた。西蒲巻町出身の彼女は1969年8月、がんにより死を迎えたが、数点の油彩と多くの素描、数十編の詩と友人あての書簡を残し、夭折の人生を全うした。
 生前、銀座で1度だけ個展を開いたが、県内では実現せず、遺作展の形で70年代に数回開催された。
 今回の展覧会は、77年に当時の県美術博物館に収蔵されてから、初めての全容公開である。遺族より特別出品された油彩2点と所蔵作品の中から素描24点、それにスケッチブックが展示されていた。その空間は適度な照明と的確な配置で「あきら子の世界」を見せている。
 私が初めてあきら子の作品に接したのは死後数年たって、お姉さんの自宅を訪れたときであった。繊細多感な感受性と一体化した表現力に驚かされたものである。
 彼女のいう「オボロ線」や筆触が、戦慄し、夢み、唄い、欲情しながら、記号化された形象を自在に結び付け、遮断し、叙情的な色彩とあいまって風景、人体、愛、宇宙などのイメージを織り成している。それは青春の葛藤のなかにぶきみな深淵が口をあけ、喜びと紙一重の悲しみ、希望と隣あった恐怖を暗示するかのようであった。
 あきら子が書き残したスケッチブックやその中に書きとめられた詩、友人にあてた書簡を見ると、純粋に生の意味を問いつづけたからこそ、発病後死を凝視せずにいられなかったことがわかる。たしかに、彼女の死は生命の燃焼の極限に訪れた。その瞬間、生に対峙してきた死に魅入られたかのように、幽明境を異にする世界へ旅立った。それは、死の直前病室から火事の火を見て、語った「アーシル・ゴーキーがわかった」に象徴される。彼女の好きな芸術家は、ゴーキー、フランツ・カフカ、荒川修作であった。
 かなたから送られてくる星の信号を、その手の動きがとらえる。透明な飛沫が創世記の物語のように、単純でしかも複雑きわまりないフォルムを生み出す。下に描かれたものにジンクホワイトがかけられ、人間のたくらみや意思を超えた動きが、宇宙的なものであると思わせる。
 短い生涯であったが、それだけに、彼女の絵画の表層に見え隠れする鮮やかな記憶の形象は、一点のタブローの中に収まってしまうことを拒んでいるように見える。彼女の絵画は、ひとつひとつ孤独であるようだが、自己完結した世界ではない。田畑あきら子をめぐる小惑星群のように、彼女の絵は現在も連なって飛翔をつづけている。
 彼女の遺稿集が近いうちに発刊される予定だ。詩とデッサンの織り成す世界を楽しみにしたい。
(田畑あきら子展は1996年11月に長岡市・新潟県立近代美術館常設展示室で展覧された)