News Paper
2009年10月12日 新潟日報 掲載

あーとぴっくす
 

引き込まれる不思議な暗さ

四竈公子展
(2009年10月12日〜20日 新潟絵屋)
(2009年10月12日〜24日 砂丘館ギャラリー)


大倉宏(美術評論家)
「雪原」 1995年
油彩、キャンバス
41.0×60.6cm


 何だろう。四竃公子の静物や風景の隅々に見える、褐色や青を吸い込みながら立ち上がり、あるいは後退していく、不思議なこの暗さ。
 闇ではない、「暗さ」。それが湿った、どこかしわがれ声のように温かい、手で私を絵に抱き寄せる。
 アトリエで一緒に見ていた画家が「見上げる風景を描いてしまうことが多い」と指摘され気づいたことがある。と言ったとき、この暗さは位置、身を置く場所かもしれないと考えた。庭の隅に植えられた楓が、そこを自分の位置、場所とするように、現実界を移動する身体を持つ人も実は楓のように世界に植えられ、置かれた位置を持っている。その位置は人自身には大概、でも見えない、ほとんど、わずかにこの画家のように、そこから見える、そこからしか見えないものを、光景を、描き、語り、奏でる者がいて、私たちは気づく。
 四竃公子のその位置はとても低く、地面よりもっと低い窪んだ場所にある。湿った土のにおいが、温かいしわがれ声のように感じられ、ほかの生き物の姿のあまり見えない、孤独な、でも何かに支えられていることが強く実感されるところだ。
 そこから彼女は見上げるように、見る、机上のナシ、干魚、エビの頭、山や木や丘や、夜明け前の平原を、その絵に、場所にふれる時―引き込まれて私自身がそこへ入り込んでいくとき、私は感じる、世界は私が置かれている場所の前にではなく、むしろ背後の、見えないこの暗がりからはじまっているのだと。










「詩人・西脇順三郎の故郷」1991年 油彩、キャンバス