News Paper
2013年11月22日 新潟日報 掲載


 

内野雅文展(砂丘館)に寄せて
(2013年11月19日〜12月15日 砂丘館)

〈ケータイ〉 2002年 
発色現像方式プリント 32.8×49.1cm
© Shigeo UCHINO 
清里フォトアートミュージアム蔵

 
切実さひめた深い孤独 大倉宏(美術評論家)

 新潟市中央区の5会場で、写真、映画などの上映、展覧イベントが同時多発的に開かれている。
 その一つ、西大畑の砂丘館で12月15日まで開催中の内野雅文写真展は、5年前わずか34歳で急逝した写真家の遺作展だ。
 内野は、国内外の若手写真家の登竜門の一つ、清里フォトアートミュージアムのヤングポートフォリオで、20代前半から、ほぼ毎年作品が収蔵された注目の写真家だった。
 会場の和室に展示された「ケータイ」は、携帯電話の普及時に町中で、その薄い板が開く個の空間に体ごと吸い込まれた、そこにいていない、若者たちを写し取ったシリーズ。旅の人でもあった内野には、日本各地で撮影した印象的なスナップや幼年時から夢中で眺めたという列車の窓を写した「車窓から」もある。一見多彩な視角を持った写真家だが、彼が意識していたという牛腸茂雄をどこか思わせるスナップショットや、子供を撮った写真を見ていると、牛腸とも、ほかの写真家とも違う、独特の熱い、切実さをひめた深い孤独を感じる。それは高度情報化の時代が急激に進展する中で、青春を生きた内野の世代が抱えた孤独だったのかもしれない。
 「ケータイ」の女たちが、時代風俗の記録とは違う感覚で見る者を揺らすのは、それらが一種のセルフポートレートでもあるからだろう。「車窓から」では美しい窓外の風景をふちどる車内の闇や人影が不思議に目にしみる。鮮明な映像が、日常の隅々にまで入り込み、個人化した時代の、肥大化した視覚の辺境や、個と個がまだばらばらではなかった場所への、強い回帰願望がそこににじんでいるせいではないだろうか。
 新潟日報情報館コンパスと20階展望室では23日から、1964年の新潟地震をテーマに、アーカイブ化された中俣正義の写真と新潟市歴史博物館みなとぴあ所蔵の小林新一の写真、新潟日報社のニュース写真が展示される。新潟大学駅南キャンパスときめいとではその中俣と小林の2人展(30日〜12月16日)を、旭町学術資料館では奥只見の金山村で、60年間村人を撮り続けた角田勝之助の写真展(12月4〜15日)を開催。県立生涯学習センターでは12月1日に中俣が山男高波吾策を主人公にした映画が上映される。
 連携企画は、新潟大学地域映像アーカイブセンターの企画、とりまとめと、映像評論家石井仁志ほかの関係者の尽力により実現した。あまりに身近で個人的なものになってきた写真を、同時代、そして過去と未来という、個を越えた空間の中で見つめ直す機会を与える好企画だ。
 なお、砂丘館では12月1日と7日の午後2時から「内野雅文の人と作品」「ストリートスナップショットをめぐって」をテーマにしたギャラリートークが開かれる。