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2006年6月15日 新潟日報 掲載

あーとぴっくす
 

荒れ地へ越境するイメージ

蓮池もも展
(2006年6月16日〜25日 フルムーンアップステアーズ)


大倉宏(美術評論家)
「草の宮」

 今回が初めての個展というこの人の線は、静かで細い。紙に湧き出る強いイメージを、引き出すというより、鎮めるかのようだ。嵐を孕んだ凪。はげしいものが呼吸する向こう側へ、目が知らず知らず吸い込まれていく感覚がある。
 一人の少女がくり返し描かれる。紙のなかの森を歩いていく。一歩歩くごとに、万華鏡のように絵があらわれる。憧れや夢想に似ているが、不意打ちのように思い掛けないイメージ。黒い葉群のうず。風、突然あらわれる石、抱きしめられて砕ける光。
 イメージはブラウン管の上のそれのように見られているのではなく、体験されている。その体験が、絵を見る私にふれてくる。
 絵というものは実は、このように怖い。目と体と心にじかに突きささってきたりする。イラストレーションと絵に、もし分かれ目があるとすれば、それは耐えがたい痛さや、傷がそこにあるかどうかということだろう。この若い人の絵筆はイラストレーションの心地よい小道から、絵という荒れ地へ、ためらいながら、歩みを緩めず越境していく。
 はじめて見る絵に、久々に才能という言葉を感じる。
 短い期間に絵が微妙に変化していることにも注目したい。少女は生き生きと顔を赤らめる少女たちになり、時に荒々しく踊る。近作の青と赤の生々しいコントラストも印象的だ。