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2006年11月1日 新潟日報 掲載

あーとぴっくす
 

絵が放つ樹粋な輝きに好感

山崎計二展
(2006年11月2日〜14日 aiギャラリー)


田代草猫(俳人)
「夜と星と蒼原と」

 ちゃんとした絵。何だか変な言葉だし、四角四面な作品、という意味でもない。けれど山崎さんの作品をみていると、ふとそう思えてくる。
 世の中には、ちゃんと絵になっていない絵。絵であることよりも、一足飛びに芸術の高みに背伸びをしている作品が、あまりにも多くありはしないだろうか。そうそう、これみよがしに技術ばかりが先行している作品なんてものもあるな。それで一体何が言いたいかといえば、やはり作品は作家そのもので決してそれ以上のものにはなれないのだということ。
 絵描きに限らず自分のような物書きだって、やはりそうだ。精神はもちろんのこと肉体性をひっくるめた自分自身という範囲を超えていいものを生み出そう、芸術的であろう、などと理論や言葉が先に立ってしまったらもういけない。後になって、ああ何であの時はカッコつけてたんだろうと冷静になれたらまだよい方。次へ次へと理論武装を重ね、技術ばかりを積み重ねた揚げ句に「自分」という一番大切で作品を生み出す源泉を置き去りにして、でき上がったシロモノはかたちこそ絵であったり文章であったりするものの、それは果たして作品と呼べるものだろうか。空虚な何かのカタマリでしかない。
 山崎さんは常に自分の内面をみつめながら真摯に筆を運んでいるように思える。自分の身の丈をちゃんと確認し、自分の足場を認識しながら、せいいっぱい星の高みへと手を伸ばしている。己が内にある浄化された世界へと。そんな姿が目に浮かぶ。だから山崎さん描く光は美しいのだろう。手が届きそうでいて届かない純粋な輝きだ。