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2008年1月11日 新潟日報 掲載


 

前衛開花 生々しく生き続けるスピリット

「新潟現代美術家集団GUNの軌跡」展
(2008年1月13日〜27日 長岡市呉服町2のギャラリーmu-an)


外山文彦(フリーキュレーター・美術作家)
「アサヒグラフ」
1970年3月6日号の表紙を飾ったGUNの雪上イベント

 
 長岡現代美術館が先鋭的な活動をしていた60年代、20代の若者たちが「新潟現代美術家集団GUN(ガン)」という前衛芸術グループを結成した。昨秋結成40年を迎えたことを機に、このたび「GUNの軌跡」展が長岡で開催される。
 GUNといえば、70年の冬、「雪のイメージを変えるイベント」と称し、一面雪の信濃川河原に農薬散布機等で絵の具をぶちまけて、雪原に巨大な抽象画を出現させたパフォーマンスが知られる。この行為は当時のアサヒグラフ(1970年3月6日号)の表紙とグラビアを飾り、新潟から広く世界に発信された。昨年、ロサンゼルスで開催された「芸術・反芸術・非芸術」展(ゲティ・センター)の講演とスライド上映でも「行為としての表現」として紹介されるなど、再評価される「新潟現代美術の動き」のひとつである。
 日本で初めて「現代」と銘打ち1964年に開館した長岡現代美術館はエポックメーキングであったが、GUN誕生の触媒にもなっている。同館で当時繰り広げられた世界の最先端の美術に衝撃を受けた前山忠の呼び掛けで、GUNは67年に結成。同館のコーヒーコーナーが拠点で、定期的に作品を持ち寄っては激論が交わされた。
 GUNの活動は約3年のスパンで変遷した。結成から1970年の「雪のイベント」までの3年間を、展覧会やシンポジウム、ハプニングと称した「行為による表現」など、芸術運動の方向性を強く打ち出した時期とすると、70年からの政治的表現への移行、72年に新メンバーを加えての再結集を経て、75年を境に組織だった活動から個人活動へと推移する。
 しかし、以降もGUNは、その名を語っての組織的なものではないが、例えば80年代には長岡現代美術館跡地へ県内作家を結集させた「新潟現代美術32人展」への新展開や、同じころ現代美術を掲げて登場した「倉庫美術館」の活動へのリンクなど、新潟で現代美術が発展していく流れのなかにみえる。前山のほか、主要メンバーの堀川紀夫、関根哲男、佐藤秀治の個々の奮闘も無論だが、流れを切り開き、それが「大地の芸術祭」の成功といった現在にまでつながっていることこそ、GUNの存在の意義深さがあろう。
 GUNが展開した「行為による表現」は、絵画や彫刻とは違い作品自体がかたちとして残らない。そのため後から保存や評価がしづらく、資料の散逸という危機がある。その点からも今回の「GUNの軌跡」展は意味深い企画である。当時の記録写真のほか、発言記録誌などその足跡を整理、検証し、かつて新潟にもあった前衛美術開花の生々しい動きを伝えている。単に過去を回顧するだけでなく、メンバーとしての6作家の最新作も提示しその現在をも問う。
 来月には「大地の芸術祭」冬季プログラムの一環として、「越後妻有・雪アートプロジェクト」が開催される。これはGUNとしてのプロジェクトではないが、参加作家にはGUNメンバーも多く加わり、70年の雪のイベントを彷彿させる。GUNのスピリットは今に生き続けているといえるだろう。

1968年、観桜会でにぎわう上越市高田公園でのGUNによるハプニング