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2008年5月22日 新潟日報 掲載

あーとぴっくす
 

線だけで絵を成り立たせる

白木ゆり展
(2008年5月23日〜6月1日 楓画廊)


大倉宏(美術評論家)
「It smells・・・(3)」
エッチング、アクアチント、ドライポイント

 
 白木ゆりは線の画家である。
 画家は誰も線を引くが、線だけで、絵すべてを成り立たせてしまう画家は少ない。
 手が空間を動き、その痕跡が紙にしるされるのが線だ。白木の線は何かを描くのではなく、その手の動き、手がその一部である体の動きにさまざまのものを吸い寄せる。初期の印象的な作品「sound」シリーズでは、画家は目を閉じて線を引いたという。
 目はイメージを見ようとする。人が線で「描いて」しまうのは、手につながる目の作用からだ。イメージはイメージに届かないものを追い越し、先回りし、遅れてくるものとの間に深い溝を置く。そのことで自分を明確にする。
 目を閉じるとその溝が消える。待っていると遅れてきたものたちが、音が、においが、気配が、ざわめきが、そよぎが入ってくる。「sound」を見たとき、なぜだろう、私の目の中の多分目でない場所を通って、それらが体にあふれた。大きな画面の無数の線の、ひとつひとつが、何かを感じる身体とつながっている。振り付けを反復するのではなく、感覚を開きながら体を動かす千人の違う舞踏家が、そこで踊っているようだと思った。
 白木の新潟での発表は久しぶりだ。今回の個展の新作を、これを書いている時点で、私はまだ数点しか見ていないが、その数点に今更のように引かれた。その数点の絵の線が、強い。これまでの画面にあった毛玉のようなものが、際立ってきた。線と線がぶつかり、絡まり、停滞して熱を帯びたような気配。こちらとあちらを隔てる格子が、熱でねじれ、内部と外部がもつれている。やけどした線が片足で跳ね、吃音のラップにのって踊りだしたような、まるで生き生きとした喧噪が画面をざわめかせている。