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2009年3月18日 新潟日報 掲載

あーとぴっくす
 

美術の方法論 根源的に問う

四月の小説 ―老齢期の〈世界〉とつきあう―
(2009年3月20日〜31日 ギャラリー炎舎


小川俊充(炎舎店主)
植松永次
加藤委
金憲鎬
全日根
滝口和男
中島勝乃利
野村一郎
原田拾六
真木弘姫
真木未波
矢尾板克則

 
 〈世界〉は今、その成熟期を終えそろそろ限界を見据えてのろのろと歩むしかない老齢期に入りつつある。そんな時に原田拾六の作品「乱張壺」=写真=に出会った。側面の激しい亀裂は長い歳月を生きて刻まれた深い皺のようでもあり、あるいは五大陸に分かつ前の姿を彷彿させる。
 過日チーズハムカツパンをかじりながら、ニューヨークのハドソン川に緊急着水した飛行機の映像を見た。まるで水面に浮かびまどろんでいるカバかワニみたいに思えた。そして救助されてる乗客は、大洪水から逃れノアの箱舟に乗り移ろうとしている祝福の民人たちのように見えた。
 四月の小説と世界の老齢期とハドソン川の祝福は何か関係があるのか。カギはチーズハムカツパン。これは今のグローバル世界が与え給うた食材からなる一品。自給率のことを言いたいのではない。〈世界〉はシステムとして既にこのように出来上がってしまっているということ。しかし腹がすいたからといって、どうしてチーズハムカツパンをかじりながらハドソン川の祝福をみなければならないのだろうか。
 四月の小説と世界の老齢期とハドソン川とチーズハム…は、何の関係もないように見えるだけだ。この〈〜に見えてしまう〉世界の映像化された現在を生きていく中で、美術が方法的にとれるものとは一体何だろうかみたいなことを逆光の風景の中でつぶやいたみただけなのかもしれないが。不景気は脆弱さのよってきたる結果だ。