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2001年12月19日 新潟日報 掲載

あーとぴっくす
 

軽やかな文字を絵が誘い出す
江川蒼竹・等々力弘康 書・絵二人展「心の痕跡」
(2001年12月1日〜26日 美術サロン紗衣)

大倉宏(美術評論家)

 書について何か書こうとすると門外漢の三文字が浮かんでしまう。
 字が読めないという、初歩のつまずきからだろう。書はかって必修の教養だったが、近代教育から取りこぼされた。教育水準は全般に上がったのに、書の門外漢は増えた。書壇は閉ざされているという人があるけど、日本人の教養が書から閉ざされたのだと思う。
 でも書が書のままで、今のただの人を迎え入れる瞬間がまれにおこる。この二人展の江川蒼竹の書のように。
 色紙に夢の字がくり返し書かれている。墨ではなく、水絵の具で。その色は、まるではかない夢の尾のように美しい。
 もう一人の等々力弘康の絵が今年84歳になるという書家からこの色を誘いだしたのなら、二人展というのは面白い。
 フォーマリズムという言葉がある。絵も書のようにさまざまな地域固有の教養や文脈で「読まれる」が、その教養や文脈なしになお伝わるものだけで構成される絵というほどの意味。現代美術の批評家が好んで使う。
 等々力は素晴らしい目をもつ現代美術のコレクターだが、コレクターとして蓄積した教養やそのほかもろもろの「読まれ得る」ものをすっぱり切断して、絵に挑むフォーマリズムの画家たろうとする。どこにも寄りかかれない、絶壁みたいな場所から投げ出される筆跡が切り出す気配。その風を吸って輝く色が、私のみならず、一人のすぐれた書家の中のただの人の目をも揺らしたようだ。
 美しい夢の字は、もう読まれることを欲しない。耳に玉をつけたウサギのような姿に変じて、夢が夢である前の、夢が夢でしかない場所へ、かろやかに、還っていこうとするかのよう。