n e w s p a p e r
2002年11月9日 新潟日報 掲載


 

わくわくが伝染する
浦川原「小さなノート 51のページ展」
(2002年11月2日〜10日 浦川原村横住)

大倉宏(美術評論家)

 昨年秋に引き続き、東頸城の山あいの小さな集落の家々の窓が不思議なつぶやきを発し始めたと聞いて、さっそく出かけた。浦川原村横住の「小さなノート 51のページ」という催し。
 「街はカーテンが/開けられない所は/嫌だと思ってたね/ここではそんなこと無いわね」―グラマーな若い女性が着替えをしている略画風の絵が脇に。ふふふ、と思う。
 「お袋はね、/貧乏という/薬飲ませてるから/お前は心配ないって/言ってた」―私も。
 「喋った事ねぇんだもんね。/性格なんて/今でもってわかんねぇもん」―うーん。
 千枚のパネルに変じた窓々の言葉は、まぎれもない各家の公式メッセージ(表に差し出されたもの)なのに、かように小声でしか聞き取れない独白、当意即妙の応えみたいなものが少なからず。なんだか立ち聞きしてるみたいな感じ。
 そんな声の村と、今歩いてるうねった道と木々に抱かれているのが同じ村だという感覚に、3D画像(裸眼立体視)を診るような奇妙な高揚感を覚える。
 村の別荘に子供のころから来ていた現代美術家原高史と村人の共同作業も、今年で3年目。プライベートなものを精妙な節度ですくいパブリックに反転させる、原の美術家としての力を、住民たちが面白がり、わくわくしだしているのが分かる。その気分は、ほんの2時間ほど、どしゃぶりの中を歩いただけの村の通過者にも伝染してきた。主催が浦川原村、というのもいいなあ。
 ここまでくる、そしてここからいく大変さが私なりに想像できるけれど、山中の50軒ほどの集落に確実に蓄積されはじめた、なによりも目に見えないものに、とても心がさわぐ。