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2003年8月8日 新潟日報 掲載

あ−とぴっくす
 

過剰さや重さの排除に共感
梅澤俊彦展
(8月7日〜8月18日 ただし13・14・15日休廊 羊画廊)

大倉宏(美術評論家)

「存在2003-1」
鉛筆・色鉛筆・水彩 2003年

 石が描かれている。
 絵はふつう目を寄せると、イメージを組み立てている線や筆跡などが見えるのに、この石は、どこまで目を近づけても石だ。
 石が石であることを邪魔してはいけないと気遣うかのように、影までがうすい。
 そして、とても美味しそうな石。
 長い年月、水にみがかれ丸みを帯びた石ばかり選ばれていること。そんな石を拾い、並べ、描く行為が、いい食材を選び、調理し、味わうことと等しい行いになっている感じ。プロセスの幸福感が、石を石のままで「美味しそう」にする。霜降りの石、こりこりした石、さっぱりした石、ミルキーな石、苦みのある石…いろんな味がさっと輝いて、嚥下したあとにほのかな余韻を残しながら、すっと消えていく。
 味とは目と石のような異質なものがふれ合うときにできる、かすり傷のようなもの? ひそやかな痛みに満たされ石は石のまま、目の肉にとける。
 そんな感覚だけの上に描くことが立っているから、細密描写の絵にありがちな過剰さや重さがなく、強さがない。
 この強くなさに、共感する。素敵な仕事ではないですか。
 5年前の東京での個展以来、2度目の発表とのこと。