n e w s p a p e r
2003年10月3日 新潟日報 掲載

「大地の芸術祭」を終えて
 

アートの可能性広がる
住民意識が大きく変化
(7月20日〜9月7日 大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2003)

前山 忠(美術家)

 第2回大地の芸術祭の全体的な特徴をまず挙げると、地域の象徴的な拠点として3つのステージ・建築物が建てられ、その内外に作品が配され、またランドスケープ的な仕事が各地で展開されたことで、前回よりも焦点化しスケールアップした印象を受ける。
 また、松代町と十日町市を中心に美術教育系大学のゼミによる住民との交流やワークショップを通じての作品展示。「こへび隊」による地元との交流、制作、作品管理、説明・案内、受付等前回を上回る地域に密着した活躍もきわだっていた。作品の内容面では、この地域や自然を見つめ根を下ろしたその場でしか成り立たない固有の作品群が目立った。
 しかし、最も大きな変化は住民意識である。作家と住民の協働は広く深く根を下ろし、住民自身が独自の協賛イベントや美術展を開催したところも多い。自分たちの集落に作家を迎え入れ協働で作品を作り上げたいとの積極的な集落が、200近い集落のうち50以上も手を上げたといわれる(ちなみに前回は1、2集落しかなかった)。
 個々の作品にはそれぞれの作家のコンセプトがあり場所も素材も表現方法も異なっているにもかかわらず、そこでしか成立し得ない〈場の共有〉ともいうべき志向性が作品・表現の根底に共通している。妻有の自然・風土・歴史・人々・生活のすべてが、作品の成立過程と表現素材の一部として組み込まれている。これは驚くべきことである。なぜならこれまでのどのピエンナーレや国際展でも、総体として地域とかかわって表現を追求し、そこに恒久的に作品が設置され続けた例はないからだ。
 実はこのことは、現代美術にとっても重要な意味を持っていると思われる。〈いま〉〈ここ〉に生きる人間の鼓動〈今日性・時代性〉が、この妻有では感じられる。アートそのものの実験から、地域や社会の活性化にとってアートがいかに大きな役割を果たし得るかということを実証しつつある。これはアーティストにとっては〈アートの可能性〉を広げるだけでなく、地域と社会に生きる現代の人間にとって未来への希望を切り開く〈可能性としてのアート〉への自覚と意欲がいっそう求められているともいえる。
 3年後の第3回大地の芸術祭の実現と成功は、ひとえに地元住民の熱意にかかっている。それは妻有地域の住民が自立し自信を持って自らを世界に発信することであり、その時初めて妻有の固有性・独自性が普遍性を獲得する時でもある。