n e w s p a p e r
2004年3月28日 新潟日報 掲載

にいがたの一冊
 

近代見取り図提示
大倉宏「東京ノイズ」

光田由里(渋谷区立松濤美術館学芸員)

「東京ノイズ」
大倉宏 著
256ページ
定価1,500円+税
アートヴィレッジ刊
ISBN4-901053-23-X

 この本では、新潟出身の画家・佐藤哲三、詩人・西脇順三郎が語られるかと思うと、明治初期を生きた高橋由一から知的障害のある現代の今村花子まで時代もメディアもさまざまに異なる人々が登場する。3Dの立体視、住宅論、ドキュメンタリー映画や少女漫画も俎上にのぼる。著者・大倉宏は、それらすべてを自分をひきつける表現として等価に見つめ、その魅力のありかを読み解いていく。
 多様な題材にもかかわらず、とても求心的な著作だと思う。彼は絵画や、小説や写真の中の、何に目をとめるのか、それは色や形や様式ではなく、いわば気配のようなものである。それを彼はたくみに描写して浮き上がらせていく。
 ではその気配はどこから生み出されて彼にまで届いたのか。それをたどる彼の筆は、表現者たちの人と思想、姿勢、気質へと向かうだけでなく、時代や社会の状況をもぐりぬけていく。そして、大倉自身が抱いている、日本の近代のありかたについての、強い関心へと返っていくのである。
 彼が日本の近代という解けない謎に対峙する地点から、さまざまな作品たちは透視され、彼自身の関心の糸に貫かれて、ある星座を形作る。それがこの本の提示する、独特の歴史見取り図なのだ。
 だからこれは美術評論集というよりも美術を題材とした、一個の作品として読める。それはちょうど、この本の重要な登場人物のひとりである洲之内徹の美術エッセーに近しい。洲之内が一枚の絵をめぐって、作者を語り絵画を語るうちに、より深く自らを語っていった方法と、どこか大倉の文章は似ていると思えるのである。大倉は最晩年の洲之内に親しく接し、彼の死後、あらためて洲之内が探求したものを追いかけ始めた。それも理由なきことではないだろう。彼ら二人ともが何らかの理論を武器にした評論家としてではなく、丸ごとの自分のまま美術と相対しているのだ、と感じさせてくれるからだ。
 最近、トヨダヒトシ新作スライドショー“NA.ZUNA”(タカ・イシイギャラリー)を見る機会があった。トヨダ氏は、日々の生活のなかで写真を撮り、ダイアリーと呼んでそれらを一枚ずつ映写することを表現としている作家である。彼のカメラは身辺の人々や風景を切り取って記録するような、奪取の器具ではない。人々と彼自身の斯界をつなぎ、その通路を押し広げる思考なのだと思った。その連続と非連続を見るスライドショーには、この不思議なタイトルの本の読書感と、意外にも似た感銘を与えてくれた。