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2004年5月3日 新潟日報 掲載

あーとぴっくす
 

あやしく秘密めいた気配

鈴木和子 花の小宇宙―日本画小品展―
(2004年5月6日〜16日 五泉市本町・ギャラリー泉地)


田代早苗(俳人)
 
緋牡丹

 音楽であれ美術作品であれ人のつくり出すものは天上の高みを目指すものと地上に留まり続けるものの二つに分けられるのではないか。例えば西洋音楽、とりわけカトリックの聖歌がまさに神の世界へと昇りつめてゆく調べなのに対し、瞽女の歌声が大地より湧き出てまた土にしみ通ってゆく音に感じられるように。
 絵画もまた、観念的な美を模索する作家と現世を強く意識させられる作家とがいる。鈴木和子はまさに後者だろう。
 その華麗な姿のため日本画にしばしば描かれる牡丹だが、彼女の「緋牡丹」=写真=は古い記憶を不思議に揺さぶる。土俗的な、と言ってしまえば楽かもしれない。でもそんな言葉でくくってしまえば零れ落ちてしまう微妙な空気。路地の片隅や古い座敷の暗がり、土蔵の奥に収められた昔の着物の色と匂い、そういったものたちが持つあやしく秘密めいた気配。また、牡丹の緋色は生々しい肉体そのものの痛みをも感じさせる。それは作者自身の喜びや悲しみ、怒り、言葉となって発せられることのなかったさまざまな感情が花となって咲いているからなのだろう。痛みを感ずるのは決して悪いことばかりではない。描くこと、痛みを感ずることこそ、この地上で生きている確かな証しなのだから。