n e w s p a p e r
2004年5月31日 新潟日報 掲載


 

“越後弁”で描いた風土

没後50年「佐藤哲三展」
(〜2004年6月20日 新潟県立近代美術館・展示室3)


大倉 宏(美術評論家)
 

 1954年6月に画家佐藤哲三が44歳で亡くなって、ちょうど50年。県立近代美術館で所蔵品を含む12点の作品で、特集展示が行われている。
 点数は少ないが、初期、中期、晩年の各時期の主要作品で、佐藤の画業の変遷をたどることのできる充実した内容だ。
 22歳で国画会会友となった佐藤は、東京の画壇と関係を結びながら、新潟を離れることなく、戦中は農村で児童画指導に熱中し、晩年は新潟の平野の風景を劇的な自然の表情の中で描いた。
 近代の西洋画の世界は多くの才能を東京に引き寄せ、東京化した。東京弁のようなメリハリのよさと、安定感(洗練)が「上京」した画家たちが共通して身にまとったつまらなさだったが、佐藤はそのような変容から免れた、数少ない画家の一人だった。
 彼の絵の不思議な空気とリズムは、例えば初期から中期への過渡期に描かれた「柿を持つ女」に見ることができる。赤い大きな実を両腕に抱えた黒装束の女には、美術学校の講評会ならデッサンの狂いが間違いなく指摘されるようなねじれがある。しかし見つめていると、その不思議なねじれこそ、この絵から寄せてくる不思議な生気、野の匂いの源であると感じられる。
 このような不安定感、一種の歪みは、初期からリアリズムを志向した中期、晩年へと損なわれることなく呼吸をつづけた。東京弁を標準語とすれば矯正すべき訛のようなものが守られ、成長を続けた様を今回の展示にも見ることができる。早すぎた晩年の5年間の集中的な制作で、多数描かれた平野の風景では、そのねじれや歪みが、粘り気のある新潟の空気や雲、大地の表情を絡め取り、土地に生きる人間の思いを吸い込んだ独特の筆触になって爆発する。
 死の前年に描かれた「みぞれ」(展示は6月6日まで)は、画面のいたるところで熱い筆のうねりが、画家の気分や幻想を吐き出しながら、あるがままの自然の表情を迎え入れる。越後弁で描かれた越後の風景。土地の個性を場の内部から見つめて掴みだす目の脈動が美しい。
 今秋から来年にかけて、東京、神奈川の美術館でも佐藤の大きな回顧展が予定されている。