n e w s p a p e r
1989年5月10日 新潟日報 掲載

マグニチュード展に参加して

       質の高い批評こそ新潟の水準高める
 


信田俊郎(新潟美術学園講師・画家)

 1989年3月21日から5日間、新潟市美術館を会場として、県内の現代美術系作家29人による「マグニチュード展」が開催された。これは、2年前発足した新潟現代美術連絡協議会(総事務局・堀川紀夫)の企画によるものである。私は、その参加者の一人で、力不足ながら今回の企画の事務局を引き受けた。
 年度末という時期の悪さ、準備期間、PRの不足など、多くの反省点を残した企画ではあったが、入場者数約450人のうち、有料入場者約300人いう成果もあり、試みとしては、ある程度の手ごたえを感じたものである。
 「マグニチュード展」については、その展評が「県内アート」というかたちで、4月14日付の本紙に掲載されたのでご覧の方も多いと思う。その概略は、「安易さ目立つ作品も」という見出しで、出品者の姿勢、作品の質、企画の甘さ等を、かなり辛辣に指摘し、「それはまた、現代日本美術のなまぬるい体質の反映でもある」という趣旨の、実にわが身にこたえる批評であった。
 ではあったが、それにしても、今回の展評にみるような、世界の現代美術の状況に照らし合わせた手厳しい批評が、わが新潟の展覧会にもなされるようになったということは、やはり喜ばしいことだろう。それは、加速度的に現代美術が社会とのかかわりを深め、それ抜きでは、まともに美術を語ることすらできなくなったという地点に、ようやく新潟もたどり着いたということではないのか。例えば2年前、新潟にオープンした独自の戦略を持つ私立現代美術館「倉庫“点”」の活動なども、そのことを物語っている。
 今、ようやく新潟の現代美術も、作品の質についてまともに語られる段階を迎えたのだと思う。今回の展評でも、後半部分で、数人の作家が取りあげられていたのは、そのような意味であろうと信じている。今後も、批評は、手加減のないシビアーなものであってもらいたい。そして、批評家が、質の高い意味での「好み」を、その言葉のなかに明らかにしていくことで、批評の持つある種の権威が相対化され、よりダイレクトに作品自身にかかわっていけるのではないだろうか。オールラウンドの美術家(妙な言い方だが)というものはあり得ない。批評もまた同様だと私は思う。
 あくまで個人的なことだが、私は「新潟現代美術連絡協議会」に参加して、一人では動かないものを動かし得る、広い意味での集団のエネルギーというものを感じている。今後は、美術愛好家、キュレーター、画廊、美術館などとのかかわりを深めた、立体的な展開を考えていかねばならない、というのが今回の参加者の考えであり、私も本当に、そう思っている。

新潟・いま・表現 マグニチュード展
NIIGATA COMTENPORARY ART FESTIVAL “MAGNITUDE
【会期】1989年3月21日〜26日
【会場】新潟市美術館
【企画】新潟現代美術連絡協議会
【出展】
大久保淳二、大嶋彰、小柳幹夫、数見利夫、金谷範子、駒野直、小林和利、近藤康之、佐藤昭久、佐藤邦彦、佐藤正二、佐藤秀治、佐藤陽一、信田俊郎、霜鳥健二、関根哲男、滝沢洋三郎、外山文彦、舟見倹二、古田洋司、本間泉、本間恵子、堀川文章、堀川紀夫、前山忠、松沢寿重、真島若桜、三上祥司、柳沢毅