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2005年2月7日 新潟日報 掲載

あーとぴっくす
 

職人の技が生み出す自然さ

漆山昌志石彫展
(2005年2月2日〜13日 新潟絵屋)


大倉宏(美術評論家)


 漆山昌志のような作家は、いそうでいない。新潟での3度目の個展を見て今更ながら、そう思う。
 漆山さんはいい石工であり、優れた彫刻家だ。近いようで遠いものが、漆山さんというループのなかで出会っている。そのことが珍しい。素敵だ。
 足元にまとわりつく朝顔の蔓をつかんで、すっくと立つ少女の像。清楚な顔や肢体には、現実のモデルの介在を感じさせない、美しい仏像に近い感じがある。それでいてみずみずしい血がかようよう。朝顔と少女の組み合わせも意表をつくようで、何ともいえず自然。朝顔の花や複雑な葉群を、見事に掘り出す技は年季の入った職人のそれだけど、巧みさが自己主張しすぎてはいない。
 石の肌と柔らかいボリュームから、匂いのように流れ出す夏の朝風を深呼吸したくなる。これは漆山さんの傑作だし、私の近年見たもっとも優れた彫刻だが、公募展の会場では、そう目立ちはしなかったろう。静かで、柔らかい声をもったものは、このような個展の空間で会うのがふさわしい。
 漆山さんが石に掘り出すイメージは、奇抜の領土には足を踏み入れない。それでいて自由で、奔放で、ユーモアや品がある。この品は彼が石工という、芸術家に比較して時に狭く、窮屈なものに思われがちな仕事を、自覚的に引き受けていることと関わるのかもしれない。注文仕事をきちんとこなすこと。主に地元の安田の石だけを材料にすること。表現の自由を制限するものが、けれど漆山さんが石に吹き込む幻想に、凛とした姿勢をもたらしているのだと感じる。
 職人と芸術家の区別のなかった頃、自然だったものに今会える。その不思議がうれしい。