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2005年3月23日 新潟日報 掲載

あーとぴっくす
 

「見た以上の何か」が広がる

内藤朋子展
(2005年3月24日〜29日 羊画廊)


田代早苗(俳人)
「早春の光」紙にガッシュ
19.3×21.2cm 2005年


 内藤さんは上手な絵を描く人ではない。こんなふうに書いたら誤解されてしまうだろうか。むしろ、上手に作品化することに興味がない、とした方が正しいのだろう。多くの作家は目の前の対象であれ、心象風景であれ、それを元に作品をつくる際、つい上手くつくろうとして、その元となったものから受けた印象や感動といった心のありさまよりも、自身がそれまで培ってきた手技を作品化することを急ぎすぎる。そこから生み出された手技の惰性を作品と称して展示することが少なくないのではないか。
 こう手厳しく書くのも私自身、時として上っつらの技術だけでものを書いてしまいそうになるから。つい、人から「うまいね」と言われたい邪念がむくむくと頭をもたげてしまうからに他ならない。もちろん職人技を否定するものでもないし、人から認められたいという気持が優れた作品を生むこともある。
 でも内藤さんは愚直なまでに禁欲的に対象を見つめる。器用な人ならあっさり対象とそれを取り囲む空間を把握して描くだろう。でも内藤さんは対象手前、両側、後ろの空間をじっくり確認しながら描いて、手元に置かれた器のありようを、視線で手触りを感じようとするかのように描いてゆく。そこに「見た以上の何か」が生まれる。作品とは、そこに見えたもの以上の何かが心に広がっていくもののことではないだろうか。