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2005年5月4日 新潟日報 掲載


 

絵と言葉 静かに共鳴

アンティエ・グメルス 絵とオブジェ展
(2005年5月7日〜20日 画廊 Full Moon)

アンティエ・グメルス展 夜曲
(2005年5月12日〜20日 新潟絵屋)


大倉 宏(美術評論家)
版画集「夜曲」から


詩篇と出会った新作「夜曲」

 瀧口修造の「夜曲」は11行の詩である。
 昭和12年刊行の画家阿部展也(芳文)との合作詩画集『妖精の距離』のなかの一編。そこからアンティエ・グメルスは一昨年から今年にかけて、8枚の絵を描いた。
 はたしてこれは夜の絵だろうか。
 8枚の絵から生まれたシルクスクリーンによる版画集『夜曲』(2005年)には、闇に明かりが灯る夜はない。画家が詩から取りだしてみせたのは「夜のなかのすべてをくっきりと照らす」夜。夜そのものがもう一つの光、目覚めであるような夜だ。
 阿部展也の絵と同じように、瀧口の詩の言葉を、彼女もそのままなぞることはしない。女囚の手袋、赤い唇、鍵穴と痩せた女、コップ、鳥といった詩のイメージは、それでも思いがけない変容を経て、版画の夜の水底に明滅し、天空に揺曳する。とはいえ詩は版画の起点、グメルスが自らのイメージをそこからつむぎ出すための、ただの手がかりだったわけではない。
 詩「夜曲」は瀧口のほかの詩と同様、言葉の微妙なずらし、意味からの逸脱によって読む者を軽くつきはなし、詩の門外に佇ませる。けれどもそのずれ、逸脱が作り出す罅、スリットのような隙間から、見えない「向こう」がこぼれ、ほんのかすかだけれど、匂う。言葉が言葉に遠くから働きかける力。そのバランスとアンバランスが、ほんの数ミリ浮かび上がらせる気配。
 喪中、うつろな寝床、鍵穴のように痩せて、沈殿、眠れない小鳥、などの沈んだ、陰なるイメージの合間に「やがて彼女は骨盤の中に自由を感じた」のような一行が、太陽や赤い唇といった言葉が、さりげなく、はめこまれる。囚われのなかの解放――いや囚われや喪がうつろや不眠や沈殿が、そのまま太陽であり、自由であるような夜の微風。
 版画集『夜曲』には、画家のこれまでの作品を特徴づけてきた文様のような反復、シュールリアリスティックなイメージの反転と連結、童話的な軽快さとサタイアとファンタジーが見られる。しかしそれらは、これまでの作品には見られなかった微妙な力の作用を受けて、一旦砂のように解体し、無から再構成されたかのようにどこか新しい。
 絵と言葉が、イメージの深みで互いを見いだし、侵潤しあったかのような感触。68年という現実の時を隔てて成熟した出会いは、立ち会う者の心の夜を、不思議なにじみの力で揺するようだ。
 新潟の二会場で開かれるアンティエ・グメルス展では、8点の版画に加え、稠密なモノクロームの仕事のあとに咲きでたような美しい水彩画、墨絵やオブジェが展示されている。
 ドイツに生まれ16年前に来日した彼女は、新潟で制作するもっとも独創的な画家の一人。そのスリリングな現在に会える。