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2005年7月29日 新潟日報 掲載


 

強い筆致の自画像

砂井正七 遺作展
(2005年7月20日〜8月21日 砂丘館)


大倉宏(美術評論家・新潟絵屋代表・砂丘館館長)
「自画像」素描 1922年

大きなもの見る眼力潜む
砂井正七・82年ぶり遺作展

 砂井正七(さごい しょうしち)の絵には不思議な力がある。
 一見荒削りな筆致は乱暴にも通じると見えるが、そこに至る直前で、しなやかにたわむ感触。ごつくて、やわらかい絵。素敵な才能が新潟にいたのだ。
 82年ぶりの遺作展。
 前回は大正12年の5月。彼が27歳で没して2カ月後のことだった。開催の中心になったのは、多分画友たちと、砂井が一時住み込みで働いていた小島骨董店の店主の息子久弥だったのではないか。久弥は砂井の才能と熱意を愛し、彼に画集や輸入の複製画を与えたりしたと言われる。当時全国の若い人の精神に感化を及ぼした『白樺』も読んでいて、その熱を小学校を出て小須戸から新潟に来た正七に吹き込んだのだろう。少年はやがて青年になり、白樺同人の画家岸田劉生を訪ねて弟子入り志願をして断わられている。成人になり、兵役につき、終えると画家として立つために小須戸に戻り、数年後、冬の角田山に写生に行って引いた風邪から、肺炎になり、誤診もあって死ぬ。
 今の日銀新潟支店の場所にあった新潟県立図書館で、最初の遺作展は開かれた。出品目録には28点の油彩、2点の水彩、33点の素描が展示されている。今回並んだ遺作は油彩がわずかに2点。水彩2点、素描が28点。すべて遺族の家に残されていたもので、油彩1点を除いて、新潟市美術館に寄贈されたもの。公開は今回が初めてとなる。
 寄贈を仲介された故竹内延夫さんのお宅で、初めて遺作を拝見したのが10年前。その印象が心から消えず、今回砂井とは見ず知らずの私が展覧会を企画することになった。残された絵でみる限り、砂井の絵は油絵以上に素描がいい。なかでも自画像がすばらしい。特に写真の素描は何度見てもまた見たくなり、その理由が分からないだけに引かれてしまう。
 白樺の思想は自己への熱中を日本の若者に吹き込んだ。砂井が繰り返し自画像を描いたこと、強い筆致にその感化は現れているが、自己を見つめながら自己よりもっと大きなものを見てしまう眼力が彼にはあったのではないか。小須戸や新潟で描かれた風景にも、見える現実が、そのままで見えない風景につながっていきそうな気配があり、スケールの大きな可能性を感じる。それが閉じられたことを、久弥らとともに惜しまずにいられない。
 会場の砂丘館は以前日銀の支店長役宅だった屋敷で、今回蔵がギャラリーに改装された。NPO法人新潟絵屋と(株)新潟ビルサービスが、この旧役宅の運営を任されて最初の自主企画展となる。民間画廊と公立美術館の隙間を埋めるような内容の企画展を、今後も継続していく予定だ。自主事業はすべて市民の支援と民間企業からの寄付(企業メセナ)で行われる。多くの支援をこの場を借りてお願いしたい。