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2005年8月26日 新潟日報 掲載

あーとぴっくす
 

激しさを秘めた可愛らしさ

うすだなおみ展 ―テーマなんかない、ただそこに〈ある〉―
(2005年8月26日〜9月4日 ギャラリー炎舎)


田代草猫(俳人)

 うすださんの作品をみていると一つの風景に出合っているような気分になる。やきものの世界では釉薬の流れ具合や焼成の加減を景色という。けれど、それとは違った意味で作品の中に言葉で括りきることのできない世界があるのだ。
 しばしば絵画などの作品をみながら「この線は強い」だとか「弱いね」などと安易に口にする。しかし強さと弱さは表裏一体だし強さと思ったものは単純さであるかもしれない。強いとか弱いとか何がしかの形容詞で括ってしまった瞬間、その作品の大切な要素がこぼれ落ちはしないか。それを取り繕うために言葉を重ねれていけばいくほど作品自体の趣は空の虹のようにどんどん先へ先へと逃げていってしまうように思われてしまう。
 素晴らしい自然の風景を前にしたとき、人は「きれいだね」「心が洗われるよ」などと自分に取り込める言葉にして心の内側に取り込んでいく。俳句をつくる人間であればその中から作品化できる言葉を拾い集めていくだろう。でも、あえて言葉にする誘惑を抑え沈黙に耐えて対象に向かい合うなら、自然はもっと複雑で豊かなものを見る者に与えてくれる。
 うすださんの作品=写真=は野蛮で荒々しく、そのくせ繊細で何よりも可愛い。単なる甘ったるい可愛さじゃない。もっと激しいものを秘めた可愛らしさ。言葉を重ねる野暮はやめよう。みるしかないのだから。