n e w s p a p e r
2005年9月1日 新潟日報 掲載


 

色彩の味覚 筆触の大胆

「神徠の譜」等々力弘康展に寄せて
(2005年9月4日〜11日 砂丘館ギャラリー)


大倉宏(美術評論家)

 30年前、銀座の画廊で素晴らしいマーク・ロスコを見た。ロスコという画家の精髄を感じさせる1点。
 それが、等々力弘康さんのコレクションだったと知るのはずっと後。新潟で偶然等々力さんと知り合い、その収集の一端にふれる機会がこの数年増えた。ルシアン・フロイド、荒木経惟、李禹煥…等々力さんが手元に引き寄せるものは、その一点、数点で、作家の力、エッセンスを感じさせる。そんな目の人が同じ町にいる不思議。
 絵を空間に置く妙味に憑かれる。という同病(?)を病んでいると知るのはフロイド、アラーキーのコレクションを、等々力さん自ら展示した展覧会を見た時。また新潟の砂丘地に佇む洋館を、何年もかけて内装を変え、硬質で繊細で、決して冷たくない空間に生まれ変わらせたのを目撃した時。そこに掛けられた数点の絵に、30年前の記憶が戻る。あの時私が見たのは、ロスコが置かれた、等々力さんの空間だったのだ。
 その等々力さん自身の絵にも、コレクションと同じくらい親しむようになった。等々力さんは本当は画家なのか、それともコレクターなのか。思いあぐねた時期もあったけれど、そんな結論のでないことを考えてもしようがない。絵を描く、見る、手に入れる、空間に置く。すべてがこの人にはひとつなのだ。空気のように絵が必要な人がここにいる。
 等々力さんの洋館のすぐ近く、昭和初期のお屋敷「砂丘館」で開かれる今回の個展では、50年前の十代の絵も並ぶ。色彩の味覚、筆触の大胆、あざやかであることへの視線。今の等々力さんの絵の、コレクションの、作り出す空間の質がもうそこにある。この絵の、不思議な人の、空気が、古い日本の家にどんな波動を呼び覚ますのか。
 心さわがせる、愉しい1週間になりそう。