n e w s p a p e r
2005年9月16日 新潟日報 掲載


 

伝統を現在形でつかむ

坂爪勝幸展「陶」
(2005年9月9日〜25日 画廊 Full Moon)
坂爪勝幸 陶と平面
(2005年9月16日〜10月7日 砂丘館ギャラリー)


大倉宏(美術評論家)
織部のフーガ

 新潟市の2会場で坂爪勝幸の個展が開かれている。
 坂爪勝幸の焼き締めの器、茶碗や水指しに照明があたり、半身が闇に沈む様を見てぞくっとしたことがある。
 ざらりとした陶肌は、廃寺の崩れた土壁を思わせ、碗の底にたまった緑ガラスは、草むらにあふれる泉水が、月の光に煌めくよう、野分の去った後の夜空の、どこかすさまじい、けれど澄みきった一刻みたいな触感がどの器にもあって、わびやさびという言葉に凝結する前の無名の美しさが、ここに現れたばかりとの感じを受けた。
 桃山時代の井戸や織部の茶碗を、実際に手に触れたら、こんな感じがするだろうか。平成の焼きものが、そう思わせる不思議。
 坂爪がアメリカの学生に、織部について講義するテレビ番組があった。展覧会を見て、実際に織部の焼き物に触ってみた学生たちに、ニューヨークの町中でモチーフを探すよう指示する。織部の紋様も、当時の日本の町で見つけられたものだと教える。学生たちの焼き上げたオリベは織部とは随分とちがって、けれど織部の生気を呼吸していた。伝統に接する坂爪の姿勢を感じた。
 今回は画廊Full Moon に並べられる茶碗などの伝統的な器類と並行して、坂爪には抽象造形と言えるような、シンプルで大型の立体作品がある。若いころ東京、九州、韓国で焼き物の伝統世界に遡行した坂爪は1979年から7年間アメリカに滞在するが、これらはその時代から作られてきた。
 それ以前の坂爪の作品を私は知らないが、日本の陶の伝統を〈現在形で掴む〉という姿勢は、このアメリカ体験で得たものだったかもしれないと感じる。アメリカで出会ったクレイアーティストのピーター・ヴォーコスは、桃山時代の陶工をわが友のように熱く語ったという。
 そのヴォーコスのアトリエにあった巨大なプレス機で刷ったモノプリントが、砂丘館の蔵のギャラリーに展示される。現代アメリカの都市と自然のスケール感と、ヴォーコスという途方もない天才に衝突いた坂爪の心に飛び散った、一瞬の火花を定着した画面は美しい。
 日本の茶陶とアメリカの想像力。月の爆発と太陽の咆哮という、異質な力を深く抱えた日本人アーティストが、そのせめぎあいから紡ぎだしたのが「阿形吽形」や「フーガ」と名付けられた抽象造形なのだろう。今回それらが置かれる砂丘館は、広い庭のある昭和初期の住宅。銀行の支店長宅だった建物は、きまじめなほど伝統的な日本の家だ。庭に面した座敷空間にあわせて制作された新作「リバーシリーズ」も展示される。伝統でもない、モダンでもない坂爪の陶作品が、どんな音をそこで響かせるのか。耳を傾けたい。