絵屋界隈の話 6
2002年10月の絵屋便より
  長岡造形大学テキスタイルデザインコース有志らによる
「ゆうめしまえ」 〜路地を味わう〜

 おなじみの路地で、今年の夏も柔らかい布たちが夏の風を呼吸していきました。太鼓と笛のバンドも登場し、リニューアルしたこんぴら通りに、心地よいにぎわいが。

 

 絵屋界隈の話 5
2002年9月の絵屋便より
  「きたまえ こんぴら」大盛況
 絵屋からほど近い商店街「こんぴら通り」は、かつてはこんぴら神社にお参りする船乗りたちでにぎわった繁華街だったとのこと。古くは芝居小屋、のちには映画館が軒をならべ、夜店がたち、夕暮れにはたもとに卵をいれて歩くと必ず割れてしまったほどの混雑ぶりだったとか。
そのにぎわいを何とか復活させようと、自治会、商店街の方々が数年前からプロジェクトチームを組み、行政に働きかけ、話し合いながら構想をまとめた石敷きの歩道とマテバシイの並木が完成。祝賀イベント「きたまえ こんぴら」が8月4日開催されました。
 小林春規さんが原図を制作した大暖簾が風にひるがえるなか、通行止めされた路上を盛大なみこしが練り歩き、特設ステージでは大黒舞、杜氏もとすり歌、バンドの演奏などが行われ、フリーマーケットも開かれるなど大盛況でした。「きたまえ こんぴら」は商店街の祭りとして来年以降も開かれる予定とのこと。

 

 絵屋界隈の話 4
2002年7月の絵屋便より
 

柳都大橋→

消えていく風景も(近く解体される第四銀行旧住吉町店)→

 5月19日、万代橋下流に新しい橋(柳都大橋)と川の下をくぐるトンネルが同時に開通しました。当日夕刻、橋を渡ろうと沼垂方面から接近したものの大混雑で断念(数日後に歩いて渡りました)。旧他門川の大通りも車が増えましたが、危惧していたほどではないようです。地図上は絵屋前の道は、橋から直接つながっています。が、橋からも橋へも直進できないので車の通りは従来と変わらず。その道を広小路側から見ると、正面の家並みの上に、万代島に建設中の高層ビルが白い杭のように突き出ています。
 一方、新潟駅と市美術館を結ぶバス路線が、新しい橋経由になり、たもとの「他門」下車で絵屋まで徒歩1分と近くなりました。市外からの方はぜひご利用を(日中は本数も多いようです)。
 新しい橋もワールドカップのために作られた「ビッグスワン」も優雅なアーチが特徴で、新潟に新しい風景を作り出しています。万代橋より高い視点から見下ろす河口の表情が新鮮。6月3日クロアチア、メキシコ戦を観戦しましたが、雲一つなく晴れた空の下、スタジアムから遠望した新潟は、湖に浮かぶ浮島のようでした。(O)

 絵屋界隈の話 3
2002年5月の絵屋便より
 

カラフルでわかりやすいマップを手に、町へゴー!→

 今年、新潟大学工学部建設学科を卒業した水嶋貴之さんの卒業論文は「新潟下町における歴史的建造物の残存状況と地区特性」。本町7〜13周辺と礎町界隈、湊町通りという近世、近代初期に市街地だった地区の全建物を外部観察し、国の有形登録文化財の対象となる建築後50年以上の建物の残存率を調べた労作です。
 それによると対象地域2,284棟中の492棟、23%(4.5軒に1軒)が「歴史的建造物」とのこと。なかでも東堀9、本町11、13、上大川前12、湊町1ノ町、2ノ町は30%以上の残存率で、下町全体が「新潟の中でも多くの歴史的建造物が残存している地区」といえ、特に集中して残る地域は「景観地区に指定して、それらを活用していくことが考えられる」としています。
 ちなみに万代島ルートの計画法線上にある71棟中27棟が歴史的建造物(38%)となっていて、用地買収され壊されていくのが、どれも古い建物だとの実感を裏付けてくれています。
 歴史的建造物のほとんどが木造の「町屋」ですが、多くは外部が金属板等の新建材で覆われているそうです。ちなみに絵屋の建物も脇を見ていただくと分かりますが、外壁には鉄板が貼られています。格子戸を復元するなどの改装で風情をとり戻した一例ですが、残存する2、3割の町屋にも、こうした何らかの復元的改装を加えていくと、町の様子もきっと変わっていくことでしょう。
 水嶋さんの調査地域に接する西堀通りは、かつて寺町と呼ばれたように、通り沿いに23もの寺が横ならびになって建っています。大都市で、町の中心部に寺がこれほど連続して並んでいるのも、全国的に珍しい。昨年この寺町を見直そうと「にいがた寺町からの会」が発足、今回寺町をめぐるウォーキングマップ(「寺」まちあるき地図)が作られました(写真)。市美術館、大和、三越などに置く予定で、絵屋でも入手できます。(O)

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 絵屋界隈の話 2
2002年4月の絵屋便より
 

絵屋近くの町屋。手前が空き地になって横から構造を見ることができる→

 万代橋下流橋(柳都大橋)が5月に完成予定です。万代島からの道は秣川岸町の大通りにランプでつながります。国の計画では、橋の本線は大通りの上をまたぎ、広小路にまで延長されることになっていて、絵屋の場所は平地へ下ってくる道の橋脚になるらしい。こちらの用地買収も進行していて、絵屋近辺も空き地が増えました。次々壊されていく建物を見ていると、このあたりは本当に古い町屋の多い一画だったことがわかります。中でひときわ立派だった浜田蝋燭店も、2月はじめに取り壊されました。和小屋とトラスという和洋の構造が併用された興味深い建物だったのが、途中で観察できました。
 浜田蝋燭店のように側面が路地に面する例をのぞき、町屋は一般に細長い体の頭だけを町並みにつきだしています。普段見えない部分が、空き地のせいで見えてきます。側面の一部をくぼませて作る坪庭がわきから覗かれて、構造がわかります。
 絵屋の建物も町屋ですが、頭(店)の部分だけが残って本体(住居)は切り離され新築されています。昔は絵屋の入口の土間がそのまま奥の住居の方へ、通り土間になって通じていました。わきの駐車場に入っていただくと、大家さんの家の奥に立派な蔵が残っているのを見ていただけます。並木町で生まれ育った大家さんは、愛着ある土地を手放す考えはなく、町を壊すだけの道路計画も疑問とのことですが、風情あった広小路が建物に横腹を向けられた殺風景な町になってしまった現状を見ると、もっともな感想だと思います。道が広がり全貌が見えるようになった第四銀行住吉町支店も、今年中に取り壊される予定です。(O)

 絵屋界隈の話 1
2002年3月の絵屋便より

旧小川宅の通り土間
(写真: 
村井勇)

 絵屋の裏手にある小川千代さん宅は古い町屋で、万延元年の棟札があったという話を以前うかがったことがあります。昨年11月26日の新潟日報で、その小川家が道路計画のために壊されるという記事が大きく載りました。それを見た新潟大学建設学科の岡崎篤行さんたちのグループが年末の12月27日、小川家の詳細な内部調査を行いました。
 棟札の話は正確には、以前一部改築の際にはいだ板の裏に墨書があったのを、修理した大工さんが見たとのことで(板は破棄)、調査では棟札は見つかりませんでした。床下に焦げた材木が使用されていて、火災後の再建の可能性も推測されましたが(記録ではこの地区は明治23年に270戸を焼く大火があったとのこと)、明確には分かりませんでした。
 この小川家、やはり同じ記事がきっかけとなり、移築を前提とした解体が検討されることになりました。解体を行うのはキャリアテクニカ環境情報専門学校で、学校の施設としての転用を検討されるとのこと。どの程度の復元となるかは解体の結果から考えるということですが、道路計画にともない機械で無惨に壊される町屋や蔵をこの1年絵屋周辺で見続けてきたので、ほっとさせられるニュースです。
 3月にはこの小川家で舞踏家の堀川久子さんが2日間にわたり踊ります。新潟町屋の内部を見られるまたとない機会もあります。絵屋の展覧会とあわせてご覧下さい。

   

 

 

 
新潟絵屋あんない