佐藤清三郎 年譜 |
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1911 明治44 |
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4月21日、父 佐藤清吉、母ミツの長男として新潟市に生まれる。姉2人、妹1人、弟1人があった。 |
1918 大正7(7歳) |
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新潟尋常高等小学校に入学。在学中は、少年野球の選手(ポジションはセカンド)として甲子園にも出場した。絵を描くことも好んだ。 |
1926 大正15(15歳) |
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新潟貯蓄銀行に給仕として採用される。(後に正式採用となり、最後には支店長代理をつとめた。同銀行は、在職中に第四銀行に併合される。)
勤務のかたわら、絵を描く。銀行の仲間たちと、映画、レコード鑑賞等を楽しみ、社会思想の研究会にも参加した。絵画の師は、ゴッホ、ミレー、セザンヌ等の画集であった。 |
1935 昭和10(24歳) |
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5月、父死去。家督をつぎ一家の生計を支える立場となる。
神戸清の名で出品した「露地」が、第6回新潟県展(11月2日〜10日 イタリア軒3階ホール)に入選する。
この頃、東京に三芳悌吉を訪ね、教示をこう。三芳は、自身が新潟時代に独学で絵の勉強をしていたころ、毎夕大理石像をデッサンし、路上ではタイムスケッチ(クロッキー)などした経験を話し、自画像、足、手などを繰り返し描くよう勧めた。 |
1938 昭和13(27歳) |
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神戸清の名で、第8回県展(10月11日〜、古町6新潟ビル2階)に入選。 |
1941 昭和16(30歳) |
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母、病気で倒れる。姉妹はすでに他家に嫁し、弟と3人暮らしのため、炊事などの家事もおこなう。 |
1942 昭和17(31歳) |
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神戸清の名で出品した「梨」「鉄瓶」が、第12回県展(11月12日〜18日 小林百貨店)に入選。12月、田中ナホと結婚。 |
1944 昭和19(33歳) |
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7月、弟戦死。 |
1945 昭和20 |
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1月、第2国民兵として舞鶴海兵団に入団。
4月13日、横須賀武山海兵団で、クループ性肺炎のため死去。享年33歳。油絵、堀端や信濃川縁の風景、働く人々、自画像等の多数の素描が残された。
6月30日、遺児清子生まれる。 |
1946 昭和21 |
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10月21日〜24日、白根市の民衆文庫で遺作展が開かれる。 |
1972 昭和47 |
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10月15日〜11月10日、新発田の田部直枝(銀行員時代の友人)宅で「佐藤清三郎遺作展」が開催される。 |
1973 昭和48 |
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9月17日〜29日、東京銀座の現代画廊で「遺作 佐藤清三郎素描展」が開催される。 |
1978 昭和53 |
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11月16日〜21日、新潟市のアトリエ画廊で「佐藤清三郎遺作展」が開催される。会期中の18日には「佐藤清三郎を語るシンポジウム」が開かれた。 |
1985 昭和60 |
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10月25日〜31日、新発田市の画廊たべで「歿後40年佐藤清三郎展」が開催される。 |