2006年1月


2005年12月の絵屋

2006年2月の絵屋

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2006年1月8日〜1月15日
企画 大倉宏

アンティエ・グメルス(Antje Gummels)
■1962年旧西ドイツ、レ−ゲンスブルグ生まれ。78年イタリア、サンレモへ移住し各国アーティストと交流。87年に来日し新潟県巻町(現新潟市)に住む。麻布工芸美術館(東京、92年)、創庫美術館(新潟、92、94年)、北方文化博物館(新潟、96年)ストライプハウス美術館(東京、98年)、新潟絵屋(01年、05年)、アートフロントギャラリー(東京、05年)、画廊Full Moon(新潟、05年)などで個展。絵本の仕事も多く手掛けている。

←「水」、オイルパステル、テンペラ、紙、
 31x 22.9cm、2005年

年末に引き続き、アンティエさんの新作展で、新潟絵屋は6度目のお正月を迎える。平行して砂丘館では、アンティエさんが新潟に来てから昨年(05年)の「夜曲」までの作品を展示している。過去の絵をまとめて見ると、アンティエさんの世界のトーンは青なのだと今さらのように、気付く。薄氷のように透明で、繊細な青。氷の板の向こうでは、こちら側で断ち切れたものが、不思議な角度で結ばれる。鳥が魚に、木が空に、人が獣につながって、循環する。ファンタジックな魅力を越えて、心が動くのは、この異界がどこかで現実を映しているからではないだろうか。超現実は現実を断ち切った場所で、現実を写す。分裂した現実を、半透明の氷で濾過してつなぎ直す。
その氷−鏡を抱えることで、アンティエさんは新潟での18年という、現実の時間もきっちり生きてきたのだろう。
絵屋の新作では、その青が濃度を増し、同時に思いがけない色――赤が絵にしみ出してきた。まるで異界の地底で眠っていた心臓が、ゆっくり鼓動を打ち出したみたい。鼓動は絵に血を送り、血は光り輝く母子の傷口や、目のある島の地中から、あるいは子宮で燃える火に熱せられ、絵の方々で噴き出す。氷が氷のまま熱を持ちだしたような、太ってきたような、逞しさに似たなにかが、アンティエさんの異界をめぐりはじめた。 (大倉 宏)

 


 
2006年1月19日〜1月29日
企画 大倉宏

信田俊郎(しだ としろう)
■1953佐渡市赤泊生まれ。78年新潟大学教育学部美術科卒。在学中久保尋二、小町谷朝生、亀倉康之、長谷部昇、小磯稔各氏の指導を得、85年には故末松正樹氏と初めて会う。88年ニューヨーク近代美術館で見たバーネット・ニューマンの作品によってカラーフィールドペインティングの意味をはっきり知り、以後の制作の出発点となる。個展、グループ展等多数。 

←「作品」 水彩、紙 18×25.7cm 2005年

去年(05年)の冬、信田俊郎さんと田中幸男さんの2人展を企画した時、浮かんだのはストロークという言葉だった。絵筆が素早く画面を走る。その痕跡としてのストローク。私の記憶にあるかつての信田さんの絵は、そんなストロークで構成されていた。ところが届けられた水彩画では、ストロークはどこかに消え、輪郭が水に溶けて消えた色面だけが、小さい枠のなかに茫洋と燃えている。その燃える色の美しさに、息を呑んだ。
2000年から02年にかけて制作された数百点から、数点を選んで並べたのだが、もう一度、改めて信田さんの水彩画展を企画したいと思った。
膨大な作品中にはかなり変化がある。色面をきちっと線で区切ったもの、ランダムなタッチを重ねたもの、パステルの作品も平行して描かれ、それらから近作の油彩の原形が姿を現してくる様子が伺える。こうした変化自体も興味深いが、それでも私は特に水彩の、それも線がほとんど溶解した中に、時折ふっと現れる「燃える」感じに一番心を揺すられる。そのような絵を、再度選び直して絵屋に並べてみたい。
と原稿を書いたところに、信田さんが近作の水彩画のファイルを持参して来てくれた。見ると、たっぷりとした水で広げられた色面の重なりに、大きな炎のゆらぎを感じる。信田さんの水彩画が、また燃えてきた。 (大倉 宏)
 

 

 

堀川久子・舞踏 「絵屋デ踊ル――道に口笛」

堀川久子さんが久々に絵屋で踊ります。
●1月22日(日)14:30〜15:30  ●信田俊郎展会場にて 
●参加費1000円  ●音楽/絵屋楽団 他


 

灰谷健次郎さん講演会
坪谷令子さんの応援団ということで、共作の多い作家の灰谷健次郎さんが講演会をプレゼント。会場は灰谷ファンであふれ、あらためてその根強い人気を実感。

WAKKUN&参治さん
   ライブペインティング

わっくんのライブペンティングは「阿賀のお地蔵さん」のストーリーの朗読からはじまり、卒寿を迎える参治さんの自慢のノドに乗せて一気に描き、会場を沸かせてくれた。 (H)


 ついこの間新年を祝ったような気がするのに、また1年が終わって新しい年が巡り来るらしい。おかしい。どこかで時間がダダ漏れしているとしか思えない。でも時間は相対的なもので、肉体の時間の経過(新陳代謝ですな)がとろくなればなっただけ外界の時の流れが速く感じられるのだそうで、そう聞けば、はぁ、なるほど、と納得もする。
 若輩の私なぞが言うのはおこがましいのだが、年をとるのは楽しい。自分が違う生き物に変化していくような感覚がある。物忘れの激化であるとか、妙にきらきらする色の髪が生えてくるとか、近視なのに近くも見えなくなるとか、そういうこともいちいち面白い。時は、確かに積み重なっている(要するに馬齢というものですが)。
 さて、絵屋便も68号となりました。いつもお読みいただき、本当にありがとうございます(最近誤植が多くて申し訳ありません。猛省しています)。新しい年も、そしてこれからも、どうぞよろしくお願い致します。
(新潟絵屋運営委員 上田浩子)


スタッフとして4回目の新年を迎える私。車の音、足音、戸の開け方で常連さんの御来廊がわかるようになり、ある日お客様から「犬並だね。」と、お誉めの言葉を頂きました。2006年も犬的感覚に磨きをかけて皆様のお越しをお待ちしています。(C)


   

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