2006年2月


2006年1月の絵屋

2006年3月の絵屋

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2006年2月2日〜2月12日
企画 大倉宏

井田英夫(いだ ひでお)
■1975年新津市生まれ。97年新潟デザイン専門学校卒。1999年モンセラート美術大学(アメリカ、マサチューセッツ州)卒業。ミンゴーギャラリー(マサチューセッツ州)で二人展。02年3月、04年11月新潟絵屋、05年ギャラリーEMU-stで個展。

 

←上 「駅の裏」木炭、コンテ、ソフトパステル、紙
 29.5×39.5cm  2005年

←下 「水門」 油彩、オイルバー、キャンバス
 24.2×33.3cm  2005年

井田君は去年、デッサンを中心にした個展を亀田の画廊で開いた。
その後に描いた絵がたまったと、連絡をもらい、秋の終わり頃、四ツ屋町の彼の仕事場兼住まいを訪ねて見た絵がよかった。春にはアメリカに行くという。その前に絵屋で展覧会をすることに、急遽決めた。
井田君の絵には「ある一瞬」の感じがある。それは出来事のような、複数の人が目撃できる、外界の一瞬ではなく、たった一人が、何かを見て何かを感じる一瞬と言ったらいいだろうか。
たんぼ道や川岸、駅裏の風景、夜の萬代橋やマンションの上の月。歩いていて、足が止まる。見ている物に何かが起こったのではなく、見ている物と見ている者の間に、何かが起こる。たった一人の心だけに落ちた水滴のように、波紋を広げて消えていく、そばにいて、同じ物を見ているものには見えない一瞬の何か。伝えられることもなく、
あとで思い出されることも滅多にない、そういう何かの存在を、井田君の絵を見ていると思い出す。 (大倉 宏)

 


 
2006年2月16日〜2月26日
企画 大倉宏

迫 一成(さこ かずなり)
■1978年福岡県生まれ。新潟大学人文学部卒業。2001年3人組のクリエイト集団ヒッコリースリートラベラーズを結成(代表)。「日常を楽しもう」というコンセプトに基づき、新潟市上古町の店舗でシルクスクリーンによるオリジナル衣類、雑貨等のデザイン・制作・販売を一環して 行っている。また、取り壊される工場での制作+展示「なくなる工場展」(04年)や商店街をおもしろくする活動「カミフルチャンネル」(04年〜)などの企画、デザインなど幅広くそして柔らかく活動中。www.h03tr.com 

←「穏やかな」 インク、紙 24.7×36.5cm 2005年

2年前、新潟の信濃川河畔に近い小さな町工場が取り壊された。
壊される直前に、迫一成こと、サコくんがプロデュースして開かれた「なくなる工場展」というイベントが良かった。
工場の内部を公開しながら、壁に絵を描いたり、映像を流したりという会場だったが、全体にのほほんとした空気が流れ、非日常的なことが行われているという気配があまりなく、当日の雨の匂いとともに、場所の記憶がそのことで逆に強く残った。
サコくんが2人の仲間とやっているヒッコリースリートラベラーズというオリジナルTシャツの店も、きちっとして、いい感じの脱力感がある。世代のセンスであり、彼らの個性なのだろう。
サコくんの絵はそのままTシャツの図柄になるらしい。写真のトナカイ(?)のTシャツも、年末に店を覗いたときに掛かっていた。原画という点ではイラストレーションなのだろうが、不思議な手書き感があるのが特徴だ。手書き感とはなんだろう。絵筆を紙につける時のわくわくする感じ、その興奮に促されて筆が動いていく気配というあたりが、私の思いつく説明だが、ともかくそういうものがこの絵にもある。
個展はどういうものを出したらいいでしょうね、とサコくんに問われて、素材に凝らず、紙に描いた普通の絵でいきませんかと答えた。サコさんの「手描き感」を、できることならストレートに見てみたい。
実際どういう会場になるかは、私を含め、見てのお楽しみ。 (大倉 宏)
 

 

 

12月18日、砂丘館でアンティエ・グメルス展のギャラリートークが開かれた。12歳の時に光を求めたというアンティエさん。その光が最近見えるようになったという。そして生まれたのが、新潟絵屋に並んだ新作とのこと。(O)


 

敷村良子さんが、2005年12月より新しい企画委員になりました。敷村さんは映画、テレビドラマにもなった小説『がんばっていきまっしょい』で1995年松山市主催第4回坊っちゃん文学賞大賞を受賞した小説家でもあります。新しい企画を御期待下さい。


 すでに何度も読み続けているのだが、今またつげ義春のマンガにはまってしまっている。何度も読み返しては、その作品の舞台となった温泉旅行を計画したり、まるでつげの経験が自分の経験であるかのような錯覚まで起こしつつある。
 いけない。他人の表現のぬかるみにハマればハマるほど、自分の世界の形が見えなくなる。現実を見据えて自分の感覚、感情を掘り下げる努力をしなくなる。絵屋代表の大倉宏さんは19、20歳のころ、仏像見物にひたすら寺巡りをされていたとのこと。そんな青年に友達などいたのだろうか? つい最近の忘年会でも、突然図面引きに夢中になり、宴会の最中に自分の世界に没頭していた。おかしい。
 しかし、そんな荒ワザこそ大事なのではないか? 適当に話を合わせたり、他人の表現世界に見境なく逃避したり、そんな薄っぺらな関係は、もういい。深く深く自分の井戸に降りていくことで、やっと他者と精神的な関係を持つことができる。自分で自分を生きることができる。
 おおげさかもしれないけれど、自己を掘り下げ表現することは、他の運動などより、現代社会の病巣への解決の糸口に成り得るのではないか。それに繋がる新潟絵屋の存在もそれなりに重要なんじゃないかなぁと思う今日この頃である。
(新潟絵屋企画委員 井上朗子)


昨年末は絵屋が踊りだしました。戸板や戸袋が突風で吹っ飛び、瓦が一枚程落下。お抱え大工・フラッグさんの出番です。修繕を重ねるたび、この建物に愛着が強くなります。絵本の「ちいさいおうち」みたいに、にっこりしたり困ったり…絵屋は生きているんだと、この頃感じてしまいます。(I)


   

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