News Paper
2013年10月7日 新潟日報 掲載


 

渡辺隆次展に寄せて
(2013年10月10日〜11月4日 角田山妙光寺 客殿)
(2013年10月12日〜20日 新潟絵屋 )

新潟絵屋での渡辺隆次展 詳細
角田山妙光寺での渡辺隆次展 詳細


 
「生」の避難所 どこに 大倉宏(美術評論家)

 画家の渡辺隆次の、屏風絵、絵巻物などを展示する展覧会が、角田山麓の古刹妙光寺で開かれる。
 今から4半世紀以上も前、旧巻町生まれで、28歳で早世した画家田畑あきら子の話を伺った。学生時代に渡辺と田畑は一緒に暮らし、共に絵を描いていた。若き日の渡辺は特異な「幻想」的作風で知られ、濃密な細部で全体を埋めていく衝動を「空間恐怖」と評した人もいた。私が訪ねたのは、彼が八ヶ岳山麓に移り住み、独居を始めて10年くらいのこと。内面の自然を凝視し続けた目が、山里の大地に浮かびあがる幻想的造形「きのこ」に出会い、触発され、胞子紋を取り込んだ作品を制作しはじめていた時期にあたる。
 その後、渡辺の絵は確実に変化していく。強固な内的自然に、同じくらい強固な山麓の自然がしみいり、きのこや草花の姿が、林床にきのこが生えるように渡辺の絵に垣間見えるようになる。野で描かれたスケッチは、「きのこの絵本」「八ヶ岳 風のスケッチ」(ちくま文庫)などの著書を飾り、それらの出版を縁に甲府市武田神社菱和殿に甲斐地方の動植物きのこを描く天井画制作につながった。
 今夏出版された最新エッセー「山里に描き暮らす」(みすず書房)は36年に及ぶ山里生活から生まれた好書。そこに収められた「初恋」に、新潟とのもうひとつのつながりが書かれていて興味深い。桃山時代の障壁画に引かれる渡辺が最近制作を始めた屏風作品が、今回の寺の書院という伝統空間での展示を私に思いつかせた。「きのこの絵本」掲載の素晴らしいきのこ図も、新たに屏風に仕立てられてお目見えする。
 八ヶ岳山麓はこの30年で東京のリゾートになり、画家の周囲の自然も変貌した。自分を変えた自然の姿が、開発で変えられていく過程を目撃してきた渡辺の、穏やかだが強い憤りの声に、NHK「ラジオ深夜便」で接して心動かされた人も多いだろう。
 展覧会期中、同じ書院を会場に江戸唄、ダンスのコラボレーション作品「ASYL(アジール)」が上演される。アジールは「避難所」の意味。公演では作・演出の飯名尚人が撮影した渡辺の絵も映像で挿入される。近著には開発で住み場所をなくした草花が、次々に画家の庭をアジールにやってきた話も収録されていた。宗派に関わらず死を受け入れ、平等に供養する安穏廟を全国にさきがけて発足させた妙光寺もまた、「家」から切り離された現代人のアジールと言えるだろう。
 合理の刃が生命を圧迫する現代に、私たちの「生」はなにを避難所とすればいいのか、感じることを通じ、考える場になってほしい。
 
「枯野」2013年 胞子紋、ミクストメディア 750×1500mm(屏風)  協力:坂下嘉和

渡辺隆次 著『山里に描き暮らす』みすず書房 
「この地に住まう者なら、獣とならび、刈っても伐ってもたちまち生えてくる草木の獰猛性に、一目も二目もおくはずだ。そんなことを身に滲みて感じるのも、三十六年余にわたって山麓の変遷を、日々目にしてきたことにもよるのだろう。寄る年波からつい来し方行く末に思いがゆく。その結果自らの、よって来たる源あたりまでをまさぐり、埒もない多くを書き連ねてきた。八ヶ岳山麓といえば、いまや観光公園化して広く喧伝されるが、それがイメージさせるのとはやや異にした、インドアライフといった向きで、このエッセイ集を編んでみた。」(あとがき)