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2000年8月2日〜10日

「とぶ」1998年 
 油彩、カンバス 13.3×9.5cm

栗田 宏(くりた  ひろし)
■1952年白根市生まれ。白根市区役所に勤務し、在職中より絵を描きはじめる。後、退職し絵に専念。「生成」「気」「密」などのテーマで制作を続ける。84、85年現代画廊で個展。ほか新発田、豊栄、新潟、名古屋、山口などで個展。

※新潟県民会館3Fギャラリーで開催の「見えない境界 変貌するアジアの美術」(7月29日〜8月20日)にも栗田宏さんの作品が出品されています。

火、というと、激しいとか熱いという言葉が機械的に思い浮かぶ。でも先日、たまたま森の中で火をおこしてみて、本当の火には実に複雑で、豊かな表情があることに気づいた。火はやわらかく、尖っていて、呟くような、眠るような、透明で猥雑で、リズミカルで、すばしっこく、おしゃべりで、優雅で、せわしなく、きまぐれで、悠揚としている。
栗田さんの絵が好きで、十数年前から折々小さな絵を求め、家の方々に掛けている。時にほんの数秒、そんな一つにわれ知らず見入っていることがある。言葉にできるようなものは、何も描かれていない。でもそこには無数の言葉や幻影や夢想の萌芽みたいなものが絡まり、とろけあうように動きながら、激しく静止している。まるで火のように。私の目は絵を見ているのではなく、その火にあたっているのだ。気ぜわしい日々のなかの、一瞬の至福である。 (大倉 宏)




2000年8月12日〜20日

「福助・水原土人形」1994年 
 木版画 17.8×21.5cm
 

西野一男(にしの かずお)
■1939年埼玉県入間市に生まれる。66年高橋絵画研究所に入り、油彩を学ぶ。78年アテネ画廊、80年現代画廊、83年ブロードウエイギャラリー、86・88・98・2000年画廊宮坂、96年ヤマハ家具吉祥寺ショップギャラリーで個展。日本版画院同人。

西野さんとは、回想集『洲之内徹の風景』(春秋社96年)の編纂に係わった時、原稿をいただいたのが縁である。間もなく、木版画を原画にしたカレンダーが送られてきた。各地の張り子人形をモチーフにしたもので、これがとてもよかった。うまく言うのがちょっとむずかしいが、愛らしい人形を愛らしく描いた絵は、世に多い。西野さんの版画には、その愛らしさの「二重」がない。不思議な表情をもった人形たちがそのままそこにある、という感じ。一見よくありそうで、これはなかなかお目にかかれない仕事ではないか。
色もいい。きれいな色がこれも純粋にただそこにある、というふう。その独特さを、けれどこれ見よがししない感じが、またいい。その人形のシリーズに、風景と若干の油彩を加えて、新潟での初個展をお願いした。夏の盛り、お盆をはさんだ会期だが、目に涼を求める気分で足をお運びください。 (大倉 宏) 




2000年8月22日〜30日
 

「森の散歩」1988年
 水彩、紙 24.2×20.3cm
 

高見修司(たかみ しゅうじ)
■1950年兵庫県加古川市に生まれる。中央大学中退。父の死後、衝撃的に絵を描きはじめる。一時南太平洋のポナペ島に住むが、体調をこわして帰国。80年から新潟に住み、水彩画を始める。82〜84羊画廊(新潟)、88年中野紅画廊(東京)で個展。ニューヨークのアーヴィング・シュテットナーと文通。89年病疫。91年『少年の夢高見修司画集』(高見修司画集刊行委員会)刊行。羊画廊、ゆーじん画廊(東京)で遺作展。

高見修司が38歳で亡くなって、11年。遺作画集がたくさんの方々の協力を得て刊行されて9年。生前に求めた絵を久しぶりに飾り、画集をめくって思うのは、高見さんの絵はやっぱり高見さんの絵だな、ということだ。
揺れ動いたのは私の方で、彼の絵は少しも変わっていない。絵から差してくるどこか無垢で、生き生きした光は、私が最初に見たときのまま、そこにある。 
そして光の水底に、消せないしみのような悲しみの感情が、いまは見える。ほかならないその一点が、絵としての完成度を越えたところで、これらを高見さんの絵以外の何ものでもないものにしているようだ。久しぶりの展覧会で、新たに接する人たちの目に、この絵たちはどう映るのだろう。なんだかわくわくする。(大倉 宏)
  



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