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2000年9月2日〜10日


「Kさんのロッカー」
ナラ・セン・ニレ
オイルフィニッシュ
W:705×D:870×H:1053cm

伊藤信行(いとう のぶゆき)
■1957年新潟市東湊町に生まれる。81年岐阜県大野郡清見村で、家具と木製品デザイナーとして創作活動を開始。同時に木工、漆工、挽き物、大工職等を飛騨の職人に学び作り手となる。95年亀田町に Nob Craft Homemade Furnitureを開設。新潟での個展は、96年考古堂ギャラリーに続き二度目。

伊藤さんの作る椅子やテーブルは、シンプルだが、軽やかではない。不思議な存在感があるが、どっしりとはしていない。
飛騨高山という木の匠の伝統が濃厚に生きている土地で、洋家具を作る工房に十数年を過ごしたことが、伊藤さんの心と目に何を刻んだのだろう。話や、仕事ぶり、それになにより作られた家具に感じるのは、木という素材が、この人にはモノというよりも生きたヒトのように見えているらしいことだ。
そのヒトに、シンプルで居心地のよい住処を与えること。それが伊藤さんの家具作りであるように、見える。使いやすさ、置かれる場所の雰囲気に繊細に気をくばりながら、使う人に、まわりに、落ち着いた口調で話しかける。声高ではないけれど、のびやかで、芯の強いその声がとても好きでいる。
生活の伴侶と思って使う人の、素敵な長い対話相手になる家具たちだ。 (大倉 宏)
 


 


2000年9月12日〜20日


17.8×26.4cm
  

村井 勇(むらい いさむ)
■1961年東京生まれ。88年新潟市に転居。89年より製作開始された記録映画『阿賀に生きる』で撮影スタッフを努める。担当はスチール撮影。93年、長野県南佐久郡にて記録映画『地域をつむぐ――佐久総合病院付属小海町診療所から』に撮影助手として参加。映画撮影終了後、単独で南佐久のお年寄りの姿を撮り続け、97年に新潟市万代リターナにて初の個展「ぼちぼちいこか」を開催。98年には長野巡回展、99年には神戸展、京都展を開催。
 

泪目(なみだめ)小路というのは村井さんの造語で、実在はしない。でもいかにもどこかにありそうな、なつかしい名ではありませんか。新潟の小路は大半が狭く、微妙にうねった道で、植木や干し物が出ていたり、自転車が置いてあったりする。人の生活のささやかな愉しみや哀しみの匂いが、ゆっくりと流れている。
ポートレートから一転して、下町の小路の、そんな細かいひだの隙間から覗いた風景を、村井さんが撮りだした。風景なのだが、風景らしからぬ気配がある。下町特有の暮らしの匂いを定着した、暗めのトーンで焼かれた写真そのものが、村井さんの撮る人々(多くは高齢者)に似ている。ぬれたアスファルトや、レンガや陶器、石段や軒下の暗がりが、人生という夢を深い皺にたたんだ肌や、ビロードのようにうるんだ目に見える。風景の格好をした、これらは村井さんのもうひとつのポートレートだろう。
(大倉 宏)




2000年9月22日〜30日

「新潟医学専門学校」
1936年 鉛筆、紙 18.5×26.2cm
  

三芳悌吉(みよし ていきち)
■1910年東京の向島に生まれ、新潟に育つ。新潟医科大学解剖学教室で顕微鏡図を描くかたわら、絵を独習。その後東京帝国大学医学部の森於菟教室に就職。太平洋美術研究所に学ぶ。二科会出品を経て、戦後は行動美術協会に参加。伊藤整、大岡昇平、佐多稲子、壺井栄らの新聞小説の挿絵を描く。絵本も多数。現在、新潟で育った少年時代を描く物語絵本『砂丘物語V』を執筆中。

4年前に出た三芳悌吉氏の『砂丘物語T・U』(福音館書店)は、日本の子どもの世界を、子どもの目に立ち返って描いた本としては中勘助の『銀の匙』以来の傑作だと、私は思う。舞台となっているのが、大正期の新潟下町という奇縁で、下町に店開きした絵屋のオープニング記念にと企画したのが、この展覧会。90歳になる三芳さんが、腰を痛めて一時入院されたため、三月遅れての開催となった。
絵本の原画や下絵が、出版の事情等で並べられなかったかわり、三芳さんが昔のスケッチブックを探して、本に出てくる日和山や日本海、医学校の建物などのスケッチを見つけてくださった。『砂丘物語』の画家が、新潟の現場で描いた素描としても貴重だ。また本の世界につながる、遠く澄んだ空気の気配が魅力的。新潟の素描のほか、三芳さんの得意な植物の写生などを加えた、約30点を展示する。 (大倉 宏)



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