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2001年4月2日〜10日
 


■東京麻布に生まれる。戦時中柏崎に疎開、定住。新潟日報柏崎直売所に勤務。現在新潟市に在住。書は横山蒼鳳に師事。

小比田さんはことばの研究者だが、「惚れたことば」を消化して自分のことばとして吐きだしてくる。長い人生体験に溶け込んで生み出すことばは小比田さんだけの世界である。
本音のことばは、その人のからだから出てくる。それは万有引力のように人を惹きつける。どんな金言名句でも、ただ書き写すだけでは愛玩でしかない。
「母の羊水」「私の子宮」などは自分の本音と心のふるさとをあけっぴろげている。「人間は動物を食べ 科学は人を食べる」と、いまの世を鋭く描く。小比田さんはそうしたことばを書の作品に昇華させている。書は文字の姿、形、線によって自分の思いを表現する「心の絵」。「習字」とはちがうのだ。
日本の書の20世紀は国の欧米化路線を反映し、「会場芸術」の名のもとに入選、入賞競争に振り回され、「心画」の歴史を塗りかえた。小比田作品は、そういう世界から抜け出す21世紀の進路を示している。    (横山蒼鳳)



2001年4月12日〜20日
 

「路をあるく」 2001年
銅版画 9.0×10.3cm
  

いまき みち(今木 道)
■絵本作家。1944年神戸生まれ。武蔵野美術大学卒業。73年『あそぼうよのえほん(全3冊)』(福音館書店)を出版。以後、かきわけ版で多数絵本を出版。90年神田神保町の美学校の工房で本格的に版画(石版、銅版)制作を開始。94年世田谷けやき美術館で初の個展。以後、生活と絵の係わる空間で個展、グループ展を10回くらい開催。神奈川県藤野町芸術村に在住。

  

※4月15日(日)いまきさんが新潟絵屋にいらっしゃいます。

いまきさんの絵本『あがりめ さがりめ』『さようなら こんにちは』(福音館書店)を、9歳になる子が生まれたばかりのころ書店で見つけた。膝に座る子たちと、くり返しどれほど読んだろう。シンプルなのに、大人の私が少しも飽きない。その点ブルーナの「うさこちゃん」シリーズに似るけれど、もっと親しい感じがするのは、形象化されているのが身近な日本の子の世界だからだ。そこには一昔前の田舎が匂う。でもノスタルジーはなく、不思議に元気があふれている。乱暴と紙一重のそれとは違う、のびのびして、どこかやわらかい元気が。
いまきさんが近年熱中する版画の仕事を、この冬、藤野町のお宅を訪ねて見せていただいた。ユリやオシロイバナを描いた大判のリトグラフ(石版画)には、大胆にも背景に女のヌードが描かれている。その大らかなエロチシズムは、絵本のやわらかい元気に、確かにつながっている。    (大倉 宏)
 


 

2001年4月22日〜30日
 
 

備前手付菓子皿
2001年
22×39×19cm
  

澁田寿昭(しぶた としあき)
■1957年兵庫県生まれ。武蔵野美術大学卒業。85年備前陶苑に入社。89・90・91年一水会陶芸展入選、91・97年焼き締め陶公募展入選、93・94・95年陶芸ビエンナーレ入選、93年日本陶芸展入選、91・92年田部美術館茶の湯造形展優秀賞、91・93・94・95・97年同展入選。98・99・2000年備前焼ギャラリー青山(東京)で個展。岡山県備前市在住。
 

登り窯と窖(あな)窯で焼成された花器、酒器、食器など100余点を出品。

窯元『備前陶苑』の社員(陶工)である澁田寿昭は、その仕事をこなしつつ自名の作品を作り続けてきた。そして近年、備前の陶芸作家として注目されるようになった一人である。
およそ焼物の産地で陶芸作家と呼ばれるには、著名な作家の下で修行し、独立して名を成すのが普通だ。500もの作家と窯元を有する備前でもそれは例外ではない。作家とは呼べない位置にいる澁田の存在を作家至上へのアンチテーゼとする向きもあるようだ。だが、自分の創造性とは無関係な、その評価に対し澁田は食傷気味だろう。澁田が陶工としてのポジジョンを変えないのは、仲間と共に働き、若手の面倒を見るという環境に創作の喜びがあり、そうした日常が澁田のスキルを鍛えるからだと思う。
しかし、なにより驚くべきことは、澁田のようなタイプの作家を見逃さず育ててしまう備前愛好者の懐の広さと眼力だ。小林秀雄が日本を「大陶器国」と称した様に、日本人というのは焼物に対して動かしがたい感覚を持つ民族なのかもしれない。 (伊藤信行)

 
   

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