2001年7月

2001年8月の絵屋

  新潟絵屋あんない 作家INDEX Blog  


 


2001年7月2日〜10日


 

スコット・ジョンストン
(SCOTT JOHNSTON)
■1974年カナダオンタリオ生まれ。93年、アートの奨学金を授与されレイクヘッドユニバーシティーに入学。97〜98年オーストラリアでストリートアートセールをする。98年カナダのカフェでアートショー開催。99年より、新潟で個展・アートショー・ライブイベントでのアートパフォーマンス等精力的に創作発表活動を続ける。新潟市在住。

仕事柄、絵を書くことは時折ある。しかし、実際は見たものをスケッチしたり、人に伝えるために書くことばかりのような気がする。子供の頃は何も考えず目的も無く、ただ心の中の何かを無心に表現していた。おとなになって、すっかりそんな気持ちを忘れてしまったようだ。スコットの絵に出会ったとき、忘れかけていたそんな気持ちを思い出した。彼は自分の思ったことを素直に表現する。興味のあること、その時の感情などを、子供のように無邪気にどんどん絵に書く。彼にとって絵は英語や日本語と同じランゲージなんだろう。型にはまったスタイルを嫌い、自分らしく素直に表現し続けるスコット。彼の絵を見ていると無邪気な子供心を取り戻すようだ。(伊藤純一)


音楽をバックにアートで短冊を作りバンブーツリーを完成させます
  

 
 


2001年7月12日〜20日

1999年 木炭、紙
34×24cm
   

緑川俊一(みどりかわ しゅんいち)
■1949年東京生まれ。67年絵を始める。71年小笠原諸島の父島、母島、72年小樽、77年東京、88〜91年ニューヨークに住む。現代画廊(東京)、マエダ画廊(名古屋)、たけうち画廊(新潟)、ギャラリー川船(東京)、空想・ガレリア(東京)などで個展。ほかグループ展多数。千葉県船橋市在住。
 

画家としての長いキャリアのほとんどを、緑川さんは「顔」を描き続けてきた。顔といっても具体的な人の肖像というのではなく、かけ回り、からみあう線がいつしか顔になってるという、そういう顔。
10年ほど前、その顔に手足が生えた。ぎこちなく、おそるおそる、肢体を持った顔が動きだし、息をしだした。以来、その人(?)シリーズが顔と平行して続いている。顔も人も、親しいイメージだから、目にはすーっと入ってくる。しかし目の底に、そのまま吸い込まれない。ねばりつく。顔や人と思ったものが、顔でも人でもないもののようになり、のびたり、そったり、身をよじらせたり、目玉の中でうごめきだす。
この感触は、でもまぎれもない人だ、と思う。時に人でないようにもなったりする人。見ていると、妙に個人的な記憶が浮かんできたりするのが不思議だ。(大倉 宏)
   

  


 


2001年7月22日〜30日

「利根・小貝川合流点」
1984年 色鉛筆、紙 29×40.9cm
   

川北英司(かわきた えいじ)
■1912年竜ヶ崎市に生まれる。川端画学校、帝国美術学校(現武蔵野美大)に学ぶ。在学中より宮坂勝に師事。36年国画会展初入選。20代後半より病気療養生活に入り、帰郷。68年頃より画作を再開。78〜86年愛宕山画廊、現代画廊ほかで多数個展を開く。89年没。

川北英司さんが生涯の大半を過ごした茨城県竜ヶ崎市は、坂東太郎と呼ばれた大河、利根川の下流域にあり、霞ヶ浦や印旛沼などが近くにある。川や湖が見えなくとも、どこか水の気配が漂う土地柄は、新潟に似ている。
若い頃、東京で国画会に出品していた川北さんだが、郷里に戻って長らく絵筆を折った時期があった。結核で入院した後の60代に再びはじめて1989年に78歳で亡くなるまで描きつづけた。
その晩年の油彩や色鉛筆などで描いた風景には、川北さんの生きた風土のにおいが、夾雑物を交えずに定着されている。土地の画家が土地の絵を描いた絵は多いけれど、画家と環境の個性がこのように親密に、自然に混交している例はめずらしい。簾戸に吹き入る風のように、光や空気の体温、肌ざわりが目に染み込んでくる。五感の根が静かに、ふるえてしまう。(大倉 宏)
  



 
   

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