2001年11月

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2001年11月2日〜10日


「ヒノデマツマデノヒ」 2001年
油彩、キャンバス


「海によせて」 2001年
油彩、キャンバス


「こぶのある牛」 1995年
油彩、キャンバス

 

久我修(くが おさむ)
■1952年新潟生まれ。86・87年独立展新人賞受賞。89・91年独立賞受賞。90年現代美術選抜展(文化庁主催)出品。96年人間讃歌大賞展奨励賞。97年雪梁舎賞。独立展会員。
 

 

 

 
  

冨所龍人(とみどころ たつと)
■1964年新潟生まれ。88年武蔵野美術大学油絵科卒。六美大学卒業生選抜絵画展出品。93年二人展(アトリエ我廊)、95年白日展会友推挙。2000年白日展で富田賞受賞、会員推挙。同年明日の白日会展(銀座松屋)出品。
 

 

 

 

 

 

渡辺政紀(わたなべ まさとし)
■1950年新潟市生まれ。70〜77年、パリのエコール・デ・ボザールでギュスターヴ・サンジェに学ぶ。帰国後独立展に出品。現在会友。
 

田代早苗さんと雑談中に、だれとだれの絵は似てるよねという話になった。似てるといっても、かならずしも表面のことではなくて、たとえば雰囲気が。冨所さんと渡辺さんには、似た空気があるなあと私が言うと、そういえば久我さんも、と田代さんが言い、3人の絵を一緒に並べたらどうだろうということになった。今夏、私は万代リターナで久我さんの絵を見、なるほどとうなずきながら、思った。静謐や寡黙という言葉では、まだたりない。この人たちの絵はどこかひそやかなのだ、と。三様の「ひそやか」がふれあって、どんな空気が絵屋にながれるだろう。 (大倉宏)
  



 


2001年11月12日〜20日


墨、和紙 34×35cm
墨、紙 55×34cm

五十田順子(いそだ じゅんこ)
■1946年新潟市上大川前通12番町生まれ。県信連に勤務、93年に退職。青年期、薄田起石氏に師事し、中断のころ師逝去。「誰にでも読める文字で自分のことばを書く」横山蒼鳳氏に惹かれ、師事し、現在に至る。
 

 

潟駅から万代橋を渡りおわると広い道がつづく。そこを柾谷小路という。そこから右方向へ日本海までを新潟の人は「しも」と呼ぶ。それは行政区画ではなく、地図にもない。新潟の町衆は誰言うともなくそう呼んで、ある種の連帯感に浸ってきた。近頃「下町(しもまち)」と言われるが、それは外側から名付けられた呼び方である。
この地は生活のにおいがする。米、みそ、醤油を要る分だけ貸し借りする人情がいまでも立ちこめる。
ここで生まれ育った一人の女性が、書家となってそのふるさとを書く。本を見て名文句を書くのではなく、自分のからだからにじんだことばで書く。深く、深く自分を耕して「しも」とは何か、語りかけている。(横山蒼鳳))




2001年11月22日〜30日

「朝日をあびて」2001年
パステル、イラストレーションボード
60×51.5cm
 

斎藤昌子(さいとう まさこ)
■加茂市生まれ。武蔵野美術大学卒業後、キャラクター商品のデザイナー、広告プロダクションの社内イラストレーターを経て、84年よりフリーのイラストレーターになる。現在は雑誌、単行本のイラスト集、出版関係を中心に活動中。新潟市在住。
 

斎藤さんの作品をはじめて見たとき、なつかしい街に帰ってきたような既視感がありました。いつかどこかで見た情景がひろがり、そこに自分が佇んでいるような……。
彼女の絵は明るく、かろやかでさわやかですが、それだけではなく、実は美しく妖しく、都会的でありながら下町の雰囲気がただよい、現代的でありながら古風、ドライなのにウェット、相反するものがないまぜになっています。それでいてなぜか、ふわふわと夢の中の世界に誘い込まれてしまう、そんな絵です。新潟の街角や建物、市井の商店、それらが彼女の感性のフィルターを通して描かれるとき、不思議な郷愁をたたえた未知の街「N市」が出現するのです。晩秋の絵屋の中、現実の新潟市に似てちょっと違う、もうひとつの「N市」の散歩を楽しんでみませんか。(村山まみ・越野泉)


 


   

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