2003年3月 | |
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2003年3月2日〜3月10日 |
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ヒロセ煌(ひろせこう) ←「indigo」 |
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ヒロセ煌さんは、詩人です。ヒロセさんの紡ぐ言葉は、僕たちではうまく表現する ことのできない「美しさ」や「感動」を見事なまでに「言葉」に還元しています。えてして言葉そのものをもてあそぶような「詩」が多い中で、ヒロセさんの詩は、ヒロ セさんが感じている「美しいなにか」を、徹底的に追い求めて作り上げられているように、ぼくには思えます。 そんなヒロセさんのもう一つの世界が「Photo Acrobat」です。写真を素材に、 Macintoshを駆使して、ヒロセさんの心の中の美的世界を極限まで表現 するその作品は、もはや「写真」でも「絵画」でも「デザイン」でもない、詩と美術 が融合した、全く新しいイメージとしてぼくたちの前に立ち現れるのです。 進化してゆく芸術表現としての「Photo Acrobat」。21世紀にふさわしい、芸術の新しい可能性を予感させるその作品を、楽しんでいただければ幸いです。(小船井 秀一) |
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2003年3月12日〜3月20日 |
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嶋 恒夫(しま つねお)
■1934年加治村(現新発田市)上館生まれ。56年新潟大学教育学部卒。80、87年2人展(羊画廊、新潟)、01年3人展(けんしんホール、新潟)、01、02、03年グループ展(銀座アートホールほか)、02年個展(羊画廊)。現在春陽会会友。 ←「クレーン」2001年 油彩、カンバス 30号P |
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機関車の力強さに胸を躍らせて詩を幾編も書いたのは、中野重治だったろうか。嶋さんが幼い頃教えを受けた佐藤哲三も、機関車に魅せられた一人だ。ハードと呼ばれるようになって、機械のイメージは逆に妙にソフト(やわらか)になってしまったが、重々しいものだった頃の機械の発散した熱気が、さまざまな意味を吸い寄せては、心をとらえた時代があった。 嶋さんの描く鉄塔やクレーンは、そんな時代の気分を今もひそかに呼吸している。油と赤錆と働く者の体臭にまみれた、生き生きした力が、観客の消えた舞台にぽつんと残った俳優のように、深い息をつき、背筋を毅然とのばして立っている。 見えない雨が降るような空は、何かを叫ぼうとして、ふと口をつぐむ人の目に見える。(大倉 宏) |
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2003年3月22日〜3月30日
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児玉 晃(こだま あきら) ■1930年岩手県北上市生まれ。岩手県立美術工芸学校、同盛岡短大美術工芸科で洋画を学ぶ。62年自由美術協会会員。91年自由美術展平和賞。92年文化庁現代美術選抜展出品。個展8回。Σ展、あみ展などグループ展参加多数。 ←「パウル族立像」 油彩、カンバス 10号M 斎藤鉄臣(さいとう てつおみ) ←「女人騎馬俑」 油彩、カンバス 4号F |
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若さという言葉は、この十数年でずいぶん複雑になった。一本気、純粋、真剣というイメージとかけ離れた若さの表現も増えてきた。悪いことではないと思う。 でも児玉さんや斎藤さんのような、私の親や祖父母の世代の方々とお話していて、若さがもっと単純で、簡明なイメージだった時代の匂いを感じて、はっとさせられることがある。アフリカの人形や中国の俑を見つめる二人の目はいたってまっすぐで、年輪という厚みは感じさせるけれど、複雑な屈曲はない。いいなあ、と思う私の気分も明確で、余分な言葉は浮かばない。 昨年、ひょんなことでお会いした児玉さんの人と絵に、ふと何度かお訪ねした斎藤さんの人と絵を思い出した。単に人形を描いているという共通点だけでなく、その表現の質に通じるものを感じて、二人展を企画させていただくことになった。お二人に深く感謝申し上げます。 (大倉 宏) |
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絵 屋 と ぴ っ く す
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●堀川久子さん 舞踏公演 1月18日の夜、広田郁世展の会場で堀川久子さんが久々に踊りました。おなじみの絵屋楽団も、今回の公演のためにオリジナル曲を用意。狭い会場にぎっしりの観客を前に、静かで激しい、どこか心地よい一時間が展開。作家の広田さんも富山で人形劇をされているそうで、この日はなんと裏方を手伝って下さいました。感謝。 ●木下晋さん トーク開催 1月25日に開かれた木下晋さんのトークも大盛況でした。会場にひかれたござには座りきれない人が押し掛けて、ニューヨークの画廊を全て回って、ここにないのは鉛筆画だと思ったという、木下さんの話に熱心に耳を傾けていました。 ●絵屋講座終了 今回の講座では、絵に触る、絵を飾るということを受講生にじかに体験してもらいました。額や軸の歴史や、額の構造、版画や絵の素材について学んだ後の最終回には、休廊日の絵屋で、各自割り当てられた壁に自由に絵を飾りました。それぞれの個性が響き会う、ほんの一時間だけの素敵な展覧会ができました。とても好評でしたので、また機会をみて行いたいと思います。 |
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