2003年4月 | |
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2003年4月2日〜4月10日 |
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土沼隆雄(どぬま たかお) ←アメリカ・オレゴン州 ポートランド市 日本庭園 ←造園工事のスナップ
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土沼さんは理論家である。その理に富んだお話を聞かせていただいたあとに、でも心に残るのは、あったかいなあという印象。 でも、がポイントで、感情や思いの温度が理のかたさをどこかで破り、ほんわか包んでしまうのが、土沼さんの人間的魅力になっている。新潟で私の見せていただいた庭の仕事にも、繊細な構築感のある一方で、論理にとらわれず、思わずはばたいてしまう自由さ、おおらかさがあった。感覚や感情という心の自然をそよがせる、日本の庭らしい声。 直伝や経験で支えられてきた伝統的造園の世界を、理の光をあて現代化したいとの思いが、土沼さんにはあるようだ。そんな頼もしい夢を抱く一つのきっかけにもなったアメリカ・ポートランド市での日本庭園の仕事に、今回はスポットをあてる。あわせて絵屋の展示室に、なんと庭を造ってくださるとのこと。たのしみだ。(大倉 宏) |
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2003年4月12日〜4月20日 |
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長谷川寛峰(はせがわ かんぽう)
■指物師。昭和7年新潟市生まれ。20年ほど前から本格的に製作をはじめる。現在新潟市の下(しも)窪田町在住。華道池坊教授。 ←「結界」(上:部分・下:全体) |
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「指物師」とは、広辞苑によると〈木の板をさしあわせて組み立てつくった器具、箱、机、箪笥、火鉢の類の細工をする職人〉とある。そして「職人」は〈手先の技術によって物を製作することを職業とする人〉とある。こう書くと指物師は技術者ということになりそうだが、長谷川氏が造り出す物はそういった技術のみで表現された物ではない。すべてにおいて「美しさ」や「豊かさ」を兼ね備えている。それは氏が物を作るにあたっていつも思っている事に起因するようだ。 「何事にも興味を持つ事、そしてそこから創造し形に変える技術を持ち備える事、それが物を作る者の基本だ」といつも言われる。木から掘り出された植物や動物、又細やかな文様等を見ていると、技術第一ではなく興味を持つことが一番だという氏の意識や鋭い観察力が感じられる。興味がわいてその気にならないと作らないから作品はマイペースでの製作。半年がかりの作品はざらだ。もちろん完成された物から技術を見せつけられることは言うまでもなく、菊の花びらなどにはため息がもれる。 そんな仕事の施された結界、香合、たばこ盆、菓子器など三十余点を展示する。指物師の仕事、一見の価値はある。(伊藤純一) |
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2003年4月22日〜4月30日
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金森一咳(かなもり いちがい) ■1941年大阪生まれ。86年に第1回個展「禅宗絵画展」(新宿・銀花コーナー)、以後個展多数開催。89年一咳墨画集『虚空礼拝』(東京美術)、95年『俳禅余話・布袋の袋』(角川書店)刊行。91年一咳墨画常設「ギャラリー寒山」を横越町・北方文化博物館前に開設し、01年東京より同地に転居する。 ←「寒山図」 2002年 |
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モーツァルトの音楽に魅せられ陶酔。交響曲、ピアノソナタ等の旋律は、やがて心の琴線を奏で、何時の間にか一見異質な禅の精神へと木霊の如く響き合い、墨画の造形へと転化して行った。これが金森一咳の辿り来った軌跡と言える。 元来水墨画は淡墨の筆先に濃墨を含ませて、一筆で濃淡を表すのが本来の描法であるが、彼は些か違う。「高揚した精神を一気に吐き出す時、力量感有る表現方法として、濃墨は確かな手応えを得るのに適している」と彼は言う。 今回展は今まで傾注して来た、音楽、俳句、随筆等の造詣が集約されたもので、仏画、俳画、禅宗絵画に音楽のイメージを融合させたもの。いずれも、濃墨でいきなり描き、淡墨、彩色をあしらうやり方で構成される。 モーツァルトが、達磨が、そして寒山と拾得が、踊るように、謳うように活写されて、参観者の心を楽しませてくれるものと期待しております。(倉田久男) |
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――――――――― 追 悼 ―――――――――
絵屋便のロゴを揮毫してくださった田部直枝さんが、3月2日、97歳で亡くなられました。1995年までの23年間、新発田で自宅を開放して開かれた「画廊たべ」は、絵屋の先達の、素敵な日本家屋のギャラリーでした。絵屋便1号の表紙を、元気なお姿で飾ってくださったのですが。心よりご冥福をお祈りします。 |
f r o m e E y a
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久しぶりの絵屋当番で終日店番をした時のことです。開廊時間の30分ほど前には到着して準備をはじめたのですが、すでに玄関前の歩道に座って悠然と本を読んで待っているご老人がいました。3月になったとはいえ、まだ少し冷たい風が吹いていた日です。初日でもあったので、ずいぶん熱心なファンがいるものだと感心しながら少し早めに開けてやったのですが、なんと、「この建物は何ですか」という思わぬ質問が返ってきたのです。熱心なファンどころか絵屋の存在すらご存じなかった様子でした。ところがこのご老人、じっくりと小一時間ほどかけて作品に見入り、すべてのDMやチラシの類まで丁寧にご覧になってから、おもむろに椅子に腰を掛け、飴玉を一個頬ばり、ゆっくりとお茶を飲んでから帰られたのです。なんとも絵屋の雰囲気に溶け込んでいた不思議なご老人でした。 「ここはいつまでやっているのですか、道路工事が始まったら移築でもするのですか」と、心配そうに尋ねてくれるお客さんもいました。大家さんがいる間は多分このままやれるだろうということ、その後の事はよくわからないが個人的には下の他の場所で続けたいと話しました。運営の持続は相変わらずの超低空飛行の絵屋ではありますが、こんな風に心配してくれる人がいたり、なんとなくご老人が入ってくれるような絵屋って結構いいなあと思っています。(R) |
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