2003年9月

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2003年9月2日〜9月10日
 

「酒田」 水彩、鉛筆、和紙
33.8×48.8cm

大橋廣治(おおはし ひろじ)
■1931年柏崎市生まれ。新潟大学美術科卒。58年より笹岡了一先生に師事。60年第3回日展に、「教会のある町」初入選。63年新潟光風会を発起し、事務局となる。65年第51会光風会展に「坂下の教会」出展、クサカベ賞受賞、以下4回受賞。68年光風会々員に推挙。73年新大美術科講師(非)を委嘱。渡欧(スペイン、モロッコ)。74年栃尾高、二葉中、白新中、小針中の教職を経たのち辞し、絵画に専念。89年新潟光風会々長。91年光風会評議員に推挙。92年「丘の村」が新潟市美術館に所蔵される。94年第80回光風会展に「雪光る」出品。評議員賞、田村一男賞受賞。98年文化振興により新潟県知事から表彰される。02年雪梁舎・新潟日報社共催「画業50年展」開催。
 

欧風の暖炉と自在鉤の下がった囲炉裏が共在する大橋廣治氏のアトリエは、穏やかに時間が流れていた。
そこでみせて頂いた膨大な量のスケッチ。多忙な日々の合間をぬってエネルギッシュに描かれていった日本国内の海や山、フランス、スペイン、中国など海外の風景。眼前に広がる光景を貪欲に自らの絵にしてゆこうとする生々しい肉体の運動そのものがみえてくるようだ。激しく見開かれた瞳、大胆かつ繊細に動く指、そして豊かに波うつ腕の筋肉。まるでたわわに実った果実を骨太な掌で収穫し、味わい、消化してゆくように目の前の光を全て我がものとする欲求そのものが、紙の上に残されているようにすらみえる。
今回、その中から特に厳選された作品を絵屋に掛けさせていただく。(田代早苗)


 
2003年9月12日〜9月20日
 

宮嶋紀子(みやじま のりこ)
■1963年富山市生まれ。文化学院美術科を経て、国立マドリッド大学美術学部に学ぶ。91年からインドネシア、バリ島で制作を開始。92年バリ島中部ウブドゥに画廊を開設、作品を常設。95年インドネシア国立芸術大学でバリ古典絵画技法を研究。インドネシア、東京、富山、岐阜などで個展。02年セニワティギャラリーより画集『MIYAJIMA NORIKO』刊行。

←「へやに来たねこ」 2002年
  木版、墨、紙 33×24cm

1年ほど前から、絵屋に宮嶋紀子さんの画集をおいている。ぽつりぽつり売れて、2冊ほどまだ本棚に。
去年の夏、新潟に来た宮嶋さんと話した。お金で自分の絵が買われていくのは「消費」される心地がすると、ちょっと怯えた目をしていた。日常の一角からうっかりこぼれたような絵の、そこはかとない匂いが好きと私は言った。
宮嶋さんの暮らすバリ島から何度か、メールで写真(絵)が送られてくる。「へやに来たねこ」が、どうも目に住みついてしまったよう。
誰ひとり、自分さえも見ていない日々の片隅に、おまえのようにそっと来て、風のように出ていくもの。そんな中に、お金や言葉で消されも費やされもしないものたちがいるらしいと、時々ねこと話す。 (大倉 宏)
 
  
2003年9月22日〜9月30日
 
鈴木若弥(すずき わかや)
■村松町生まれ。人形作家。1967年人形劇団「ひとみ座」入団。NHK「ひょっこりひょうたん島」番組製作に参加し、人形作りを学ぶ。71年よりフリー。81年陶人形を作り始める。北海道から西表島まで各地にて個展・グループ展多数。神奈川県藤沢市在住。

幼い頃、豆腐屋さんの「トーフー」というラッパが好きだった。ある夕暮れ、その少し間の抜けた音を追いかけて、迷子になったことがある。泣きじゃくりながら、豆腐屋さんに手を引かれ、心配する母の元へ。
若弥さんの人形を見つめていたら、いつのまにか、そんな遠い日の自分に戻っていた。陶人形には物語があるという。一人一人に名前があって家族がいるのだ。若弥さんの作品は、どれもやさしい。そしてつい「ウフフ」となってしまう遊び心がある。それは、人生の幾多の悲しみを乗り越えながら、今も少女の気持ちを持ち続けているからに違いない。
趣味は、自然派の庭作りと聞く。野山に咲く花々をあくまでもそのままに。驚く程の手と目をかけながら、あたかも何も手を入れてないように見える庭をと心がけているとか。
絵屋の空間でも「若弥の杜」で、デジャブーのような感覚と遭遇できるかもしれない。(高橋裕子)
 


   

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