2005年2月


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2005年2月2日〜2月13日 企画 大倉宏

漆山昌志(うるしやま まさし)
■1955年安田町(現阿賀野市)生まれ。愛知県岡崎市で石工修業。81年帰郷し漆山石像彫刻を開業。県内各地の寺社などの狛犬、石仏、石燈籠などを制作。88年から県展、芸展に石彫を出品。96、2000年県展で奨励賞。94、96年芸展連盟賞受賞。2000年二科展で特選。01、03年新潟絵屋で個展。

2年前の漆山さんの個展に並べたお地蔵様をひとつ、私の家の小さい庭の真ん中に置いている。最初のうちは、雲母や石英のきらきら光る花崗岩の青白い肌が、砂地の上でとまどうような表情をみせていた。それはそれで初々しかったが、卯木の葉陰で春や夏の陽を浴び、時雨のシャワーやみぞれ、雪や風にさらされるうちに、気が付くと鏨で刻まれたあばたの窪みに苔が生え出していた。
そこからが早かった。やがて見る見る石は黒ずみ、いつしか雨の日は濡れた砂と見分けがつかないほどに。何十年も前からまるでそこにいて、根を地にどっしり下ろしている風情。晴れた日に見ると、苔は日陰部分から広がっているのが分かる。鏨跡に時間の加えた緑のデッサンに、石像の微笑みはコントラストを深めながら柔らかさを増し、前にもまして瑞々しい。
久しぶりに安田の漆山さんの仕事場に行くと、庭のあちこちに置かれた石像たちにも時の筆跡が刻まれていた。同行二人(どうぎょうににん)はお遍路さんの杖に書かれる言葉で、見えない弘法大師がいつも共に歩いているという意味だそうだが、この仕事場にももう一人の石工がいて、その鑿音をいつも聞きながら漆山さんは石を刻んでいるのではないか。漆山さんの石像のやさしさ、柔らかさは耳を澄まし合う、この同刻二人の鑿音の響きなのかもしれない。 (大倉宏)

 


 
2005年2月17日〜2月27日 企画 大倉宏

信田俊郎「光の窓(青)」 2004年
18.5×23.3cm 水彩、紙

田中幸男 「Lovers」 2004年
25.6×20.2cm 水彩、紙

信田俊郎(しだ としろう)
■1953佐渡市赤泊生まれ。78年新潟大学教育学部美術科卒。在学中久保尋二、小町谷朝生、亀倉康之、長谷部昇、小磯稔各氏の指導を得、85年には故末松正樹氏と初めて会う。88年ニューヨーク近代美術館で見たバーネット・ニューマンの作品によってカラーフィールドペインティングの意味をはっきり知り、以後の制作の出発点となる。個展、グループ展等多数。

田中幸男(たなか ゆきお)
■1968新潟県聖籠町生まれ。92聖籠町町民会館にて個展。92〜2001個展(新潟市アトリエ我廊)。97個展(高田図書館市民ギャラリ−)。03〜04個展(長岡市ギャラリ−DotONE)。その他グル−プ展、公募展等出品多数。現在、県立小千谷西高校勤務。

昨年長岡のギャラリーdotONEでの田中幸男さんの個展会場で、ストロークという言葉と信田俊郎さんとの二人展を思いついた。聞いてみると信田さんと田中さんは面識はあるものの、親しく話す機会はまだないという。
ストロークはオールのひと漕ぎ、水のひとかきを言う言葉。ゴルフやテニスで球を打つという意味もある。描くことは筆という棒で絵具を紙やキャンバスに付けていく作業で、跡が点に近い場合をタッチ、細長く延びる時は線と呼ぶ。タッチであり線あるようなものを指してストロークと言うことがあるが、信田さんと田中さんの絵は、まさしくストロークが絵の中心軸になっている仕事だと感じたのだ。
抵抗するものをまず打つ。そして間髪入れず飛躍へ押しやる。筆を打つこと押すことが、田中さんにとって対等で、それは球筋を見定め狙った方向へ打球を飛ばすバッターを思わせる。ストロークという一瞬の場に、呼び寄せられたものが、田中さんの絵の声になっている。
長年見てきた信田さんの仕事も、そういうものだった。同じ球場ならぬ会場で二人の打者に打ち合ってもらおうと思いついたのがこの二人展なのだが、その後接した信田さんの新作では以前のストロークが消え、セーブされた筆の動きが、筆の向かう方角でなく、周囲ににじみのような広がりを作り出している。ストロークを基軸とした仕事の延長とも見えるが、新しい何かを迎え入れようとしているようにも感じる。
dotONEで浮かんだイメージとは違った会場になりそうな予感に、とまどいながら、でも、かなりわくわくしている自分がいる。  (大倉宏)

 



絵の高さ

 絵屋に絵を見に来られる時、絵だけでなく、「展示」にも注意してみてください。展示にはいろんなポイントがありますが、その一つが高さ。絵の高さの好みは企画者により個人差がありますが、私の場合は絵の真ん中が床から125〜135cmくらい。このあたりが156cmの身長の私が楽に画面を見られる位置。静かな緊張感のある絵などは、微妙に高くしたくなりますが、それでも大体前述の範囲内での上下。高さに敏感になると、ほんの2、3cm変えただけで、驚くほど見え方が違ってくるのに気づきます。天井が高いか、鴨居がすぐ上にあるか、下に何か飾るかなど、状況によって適切な高さも変化します。このあたりの見極めが絵を飾る楽しさでもあります。
 日本人は部屋に絵を高く飾る傾向があるようです。これはもともと床の間以外に絵を掛ける場所がなく、先祖の写真のように長押の上に角度をつけて額を飾ってきた習慣のなごりかも知れません。絵は特別なものという意識の作用もあるでしょう。
 顎を上げないと見えない高さに絵を掛けておられる方は、一度試しに自然に眺められる高さに下げてみて下さい。思いがけないほど絵が、身近に感じられてくると思います。「身近すぎる」ように感じたら少しずつ、ぴたっと落ち着いて見える位置まで、上げてみるといいでしょう。高さを通じて、自分と絵の関係も感じとることができると思います。(O)


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 NPO法人に認証申請中の絵屋ですが、NPOとは何か、考えてみたいと思います。NPOは私企業と行政の活動の隙間を引き受ける存在と言われます。美術で言えば町やデパートの画廊と、公立美術館の隙間。公立美術館は公立ゆえに、また画廊は採算ベースという枷ゆえに実現しにくい企画があります。例えば、きらっと光るものがあるが、まだ評価の定まらない作家の個展など。「公正」に阻まれず、販売予想に足踏みされず、可能性に賭ける思いきった企画ができるのがNPO画廊です。


I n f o r m a t i o n
中越地震被災者への義援金カンパについて
昨年の12月2日から10日までの村井勇写真展会場でカンパを募りました。新潟絵屋と作家からのカンパも合わせ、37,982円を新潟県共同募金会の義援金口座に振り込みました。ご協力ありがとうございました。

1月から新しいスタッフに井上美雪さんが加わりました。
どうぞよろしくお願いいたします。
 

絵屋の場所を尋ねる電話をよくいただきますが、運転免許を持たず行動半径も狭い私は道案内が苦手で要領を得ない説明になってしまう事も。私のせいで迷子になった皆様、この場を借りて深くお詫び申し上げます。 (C)


   

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