2002年11月 | |
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2002年11月2日〜10日 |
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栗田 宏(くりた ひろし) ■1952年白根市生まれ。白根市役所に勤務し、在職中より絵を描き始める。後、退職し絵に専念。「生成」「気」「密」などのテーマで制作を続ける。84、85年現代画廊で個展。ほか新発田、豊栄、新潟、名古屋、山口などで個展。2000年7〜8月「見えない境界 変貌するアジアの美術 光州ビエンナーレ2000〈アジア・セクション〉日本巡回新潟展」(新潟県民会館3Fギャラリー)に参加。同年8月新潟絵屋で個展。 ←「さど」 1983年 油彩 17×14cm ※未発表の作品と、十数年間栗田さんが手を入れ続けてきた鉛筆による大きい絵3点を紹介します。 |
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栗田さんの展覧会は2年ぶり。新作だけで、と希望を話していたのだが、電話すると栗田さんは留守で、「薪ばかり割っていますよ。絵なんか描いてないみたい」と奥さん。 行ってみると家の前に、薪の山に囲まれて、煉瓦積みの窯が出現している。手作りと一目で分かる姿。この窯づくりに明け暮れた2年だったとのこと。壁には下塗りしたキャンバスが何枚か掛かっているばかり。 キッチンに初めて見る30年前の油絵があった。はたちの青年が描いたと思えない成熟した画肌。最近の鉛筆の仕事につながる闇の気配に息をのむ。この人の絵はこんなにも早く熟し、以後数十年ひとつところに佇み続けてきたのだ。 そう感じたら、ふっきれた。こういう人のいること自体を知らしめることが、私のようなものの仕事なのだと。 (大倉 宏) |
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2002年11月12日〜20日 |
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Ingo Gummels(インゴ・グメルス)
■1931年北ドイツ、ヴィルテスハウゼン生まれ。少年時より肖像画・風景画家の父エルヴィン・グメルスより絵画の指導を受ける。61〜88年レーゲンスブルグで矯正歯科として働く。89年以降画業に専念。ドイツ各地の画廊、美術館で個展、グループ展多数。ドイツ芸術家協会、レーゲンスブルグ芸術家協会会員。 ←「AURORA」 2002年 油彩、キャンバス 50×40cm |
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インゴさんは、昨年12月に絵屋で展覧会をしたアンティエ・エ・グメルスさんのお父さん。巻のアンティエさんのアトリエをお訪ねした折、ドイツでの個展のカタログに魅せられた。 無理かなあと思いつつ、展覧会をお願いしたところ、絵屋にあわせた小さいサイズの油絵の新作20点を送ってきてくださった。 私たちの心という自然にも日は照り、雲は流れ、驟雨がおそい、草が歌い、花が光る。そんなことを、インゴさんの絵を眺めていると思うのだが、その自然は心のいれものである体が身を置く自然とも、たぶんつながっているだろう。 絵とともに生き生きと動く私の気分の遠景を、新潟にどこか似て、どこか違う土地の風や光や海やはらっぱの匂いが、横切っていくのを感じる。 (大倉 宏) |
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2002年11月22日〜30日 |
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木村希八(きむら きはち) ■1934年南魚沼郡塩沢町に生まれる。49年鎌倉市材木座に移る。54年版画に興味を持ち、木版、モノタイプ、ステンシルなどの平版刷りを始める。59年木村希八石版画工房を開設、阿部展也、木村利三郎らの作品を刷る。63年日本美術家連盟 JAA 版画工房開設、石版画部担当(69年退職)。64年から桑沢デザイン研究所、女子美術短期大学、東京芸術大学などの非常勤講師を務める。90年新潟市美術館で「刷り師の技と目」展開催。 ←「木像 '96-8」1996年 木版画 25×15cm |
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木村さんの手にかかると何でも作品になってしまうから不思議である。さながら奇術師の手さばきを見るのに等しい。あらゆるものが素材に変換され、作品となる。しかしもともとは、版画の刷りの経験を通して身につけた絵の具と紙に対する長年の吟味が肥やしになって、いっそう深みのある作品に仕上がるのである。もっともそのために全体がモノクローム調になりがちなのは、木村さん独特の色彩の消去法によって行き着いたひとつの到達点だからである。それを故郷の原風景に重ねても間違いはない。 濃淡の微妙なストライプの木版画、解き墨の乾燥した跡が図柄となった石版画、あるいは使われなくなった道具や建築材をオブジェとしてよみがえらせたものなど、木村さん自身が積み重ねてきた感性の錬磨という時間が伝わってくる。 (藤島俊会) |
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