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2002年10月2日〜10日
  

宮 柊二(みや しゅうじ)
■1912年新潟県堀之内町生まれ。北原白秋の秘書をつとめた後、召集を受け、中国山西省を転戦。戦後『小紺珠』『山西省』などの歌集で歌人として評価を確立。戦争をくぐりぬけた日本人の孤独をきびしい目で見据えた歌で、戦後を代表する歌人のひとりとなる。歌誌『コスモス』を主宰し、後進の育成にもあたった。86年没。

← ガーベル・レホヴィッチ 「ハイウェイ」
  1973年 油彩 76.0×94.0cm

Gaber Rechowicz(ガーベル・レホヴィッチ)
■1920年ワルシャワ生まれ。父は建築家。パリのエコール・デ・ボザールに学び、クダンスクの美術学校の建築装飾科に入り戦後の壁画運動の中心となる。ワルシャワを拠点にヨーロッパ、アジア各地で作品を発表。

今から29年前、ガーベルというポーランドの画家が、日本に半年滞在し、油絵と版画の連作を描いた。その絵を見た歌人の宮柊二が短歌だけでなく、俳句、小唄、催馬楽、隆達節といった古謡の形の詩をいくつも書いて『’73東京幻想』(UNAC TOKYO)という魅惑的な本がまとめられた。
高速道路、ナイトクラブ、パチンコ、ボーリング。高度成長のまっただなかで、熱を帯びていたモノたちが、夢想の海を浮遊する不思議な絵だ。この時代、日本はかつてあった多くのものを壊し、過去を失って浮上した軽やかな8,90年代、そして現在への礎を築いた。切り取られた記録ではない、絵と言葉にやわらかく抱きかかえられた変貌の時代の体温が、口うつしされるように私に降りてきて、記憶の襞を濡らしていく。 (大倉 宏)


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2002年10月12日〜20日
  
坂倉新平(さかくら しんぺい)
■1934年岐阜県羽島生まれ。60年モダンアート協会展新人賞受賞。62年文化学院美術科卒業。63〜81年フランスに滞在。70年代以降ガレリア・グラフィカ(東京)での個展を中心に、個展、グループ展多数。93年「今日の作家たち─’93坂倉新平・船越桂展」(神奈川県立近代美術館)開催。

←「楽しみがくる」 水彩、紙 10.0×14.9cm

神奈川県二宮町の坂倉さんの仕事場へは2度うかがった。2度とも素晴らしくおいしいワインをごちそうしていただいた。ワインもおいしかったが、坂倉さんの家の空気がまたおいしい。静けさの底になにかがきらっと光りながら、ぴちぴち弾んでいる。その空気とワインに2度ともすっかり酔って、顔を赤くして電車にのった。
2度目は今回飾る水彩を選ばせていただいた。そんな空気のなかでゆったり発酵した色の、透き通ったうわずみに触れるかと思え、ワインをいただく前に目がもう酔ってしまっていた。
顔の紅が引いたあとも、山巓の湖水のような色の触感は残り続けた。
味音痴の私だが、目の舌の方にはほんのちょっとだけれど、自信がある。まちがいない。坂倉さんの水彩の色は、現在の日本の極上のそれに属している。(大倉 宏)
 
  

2002年10月22日〜30日
  

伊藤歌夜子(いとう かよこ)
■1950年新潟市生まれ。90年代中頃から独学で写真を始める。97年プロに転向。商業写真を撮りながら作品制作を続ける。2000年ケルヴィンギャラリーMiredにて個展。2002年12月あまのとしや、武井裕之との3人展を予定(フォトスペースKOYO、東京)。

←Untitled 2001年2月 18.0×28.0cm

新潟の色はよどんでいて透明な、つめたくやわらかい灰色がかった青。と、ひとりで思い続けてきた。夕暮れの海にも、初夏の田圃にもその青が浸みていると。佐藤哲三の絵の影響なのだが、佐藤を知らない伊藤歌夜子さんの撮る新潟にもその青が映っているのを見て、驚いた。伊藤さんも同じ色を新潟に感じていたのだという。
伊藤さんの写真を、はじめて見た時、完成度はとても高いのに、どこか十代の少女のようなみずみずしい面差しがあるのに引かれた。少女が一人で道を行く時、例えば落ちかけた樋、渚に撒かれる光、ガラスの崖、舗道の波が、向こう岸から投げられたボールのように、放物線を描いて目に吸い込まれる。受けとめるひそかな一瞥の水底に、カチリとかすかな、澄んだ音がひびく。
そんな音がどの写真からも聞こえる。透明な青は、写真を照らす、どこか寡黙で一途な少女の瞳の色でもあるだろうか。(大倉 宏)
 

   

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