2005年5月


2005年4月の絵屋

2005年6月の絵屋

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2005年5月2日〜5月10日 企画 伊藤純一

篠原乃り子(しのはら のりこ)
■1972年渡米。N.YのArt Student Leagueに留学、翌春21歳年上の篠原有司男氏に出会う。86年N.Y、Cat Clubで個展。94年小説「ためいきの紐育」出版。95年京都芸大、東京芸大で銅版画を学ぶ。99年Galleria Graficaにて個展。02年NHK「甦るInca」に出演。03年International Prints Center New Yorkにてコンテスト受賞展。Asian American Art Center in New YorkのSep.11th記念展に出品。04年「Un Voyage d‘Inca」がボストンWellesley College、Davis Museumのコレクションとなる。N.Y在住、高岡市生まれ。

←「Here is still------」
2002年 International Prints Center N.Y.のコンペテション入選作品
銅版画 43×39cm

あーとぴっくす
「愛と憎しみ… 人間の業を表現」敷村良子
篠原乃り子さんが歩んできた四半世紀はまさしく小説のようだ。1972年に渡米、翌春ボクシングペインティングやバイクのオブジェ作品でおなじみの篠原有司男氏に出会い、出産、後に両親からの仕送り停止で貧困の只中に。自伝的小説「ためいきの紐育」では、明日の食費やミルク代も無いという困窮の極みのような生活が綴られているが、悲惨というイメージは伝わらない。小説ということで少し脚色しているのだろうなあ、とご本人に伺ったところ、本当の生活は脚色どころか小説に表せないほど凄まじいものだったとの事。穏やかさから発せられるエネルギーはやはりなにかを卓越してきたからだろう。
現在住んでいる「D,U,M,B,O」地区はブルックリンブリッジの高架下周辺で、地価が高騰したソーホー地区からアーティストが多く移り住んでいるエリア。2001年9月11日、その地から見上げるブルックリンブリッジを、数え切れないほどの緊急車両がけたたましくサイレンを鳴らし走り続けていたという。アーティストでなくとも心に大きな衝撃を残す大事件。その事件後制作した作品はInternational Prints Center N.Y.のコンペテションで入選を果たした。今回絵屋にその入選作を含む繊細ながら大胆かつパワフルな銅版画作品20余点を展示する。生のニューヨークの空気を、日本の、この新潟絵屋で感じてもらいたい。ご本人もN,Yより訪日在廊予定、篠原さんご本人ともぜひ会っていただきたい。(伊藤純一)
 
講演会 「Sep.11thをこえて・・・」
●お話:篠原乃り子
●日時:5月3日(火・祝)14:00〜15:30
●会場:新潟市美術館 2階講堂
    
(新潟市西大畑町5191-9)
●参加費:500円(絵屋会員400円)
※申し込み不要・直接会場においでください。
あの9・11を目の当たりにした篠原さんが、その後のN.Yの事やアーティストの事、イラク戦争のことなど、ニューヨーク在住のアーティストの目から見た9・11後のことを語っていただきます。

 


 
2005年5月12日〜5月20日 企画 大倉宏

Antje・Gummels(アンティエ・グメルス)
■1962年旧西ドイツ、レーゲンスブルグ生まれ。78年イタリア、サンレモ市旧市街芸術家村へ移住し各国アーティストと交流。絵画、音楽、舞台美術など幅広い活動を行う。89年来日、巻町に住む。92年麻布工芸美術館、92・94年創庫美術館、95年ギャラリー彩、96年北方文化博物館、98年ストライプハウス美術館、2000年ギャラリー喫茶はえゆ、01年トミオカホワイト美術館ミニギャラリー、新潟絵屋、05年アートフロントギャラリーで個展。絵本の仕事も多く手掛ける。

←版画集『夜曲』より 
 シルクスクリーン 16×16cm 2005年

もし、妖精が実在するなら、アンティエさんは間違いなくその血を引いている。
そして1979年75歳で世を去った詩人、瀧口修造もそうだったに違いない。その瀧口さんが若き日に書いた『妖精の距離』のなかの短い詩に、アンティエさんが1年以上をかけて、魔法的な魅惑に満ちた細密な8点の素描を制作して生まれたのが、版画集『夜曲』である。
ここに見るイメージの連鎖、反転、重複、反復は何とも言えず優雅で、人が描いたものと思えない。さやかな葉ずれの音でできた砂を、夜という宝石箱の底で揺すって現れた幻のようだ。シルクスクリーンのインク粒子が、闇から差す微光に輝いている。
素描制作のあと、抑えられていた色が朝の声に誘われ、こぼれだすように水彩画の連作が生まれた。森の奥で一番に鳴く鳥。夢を追いながら、曙光の予感に軽やかに、妖精の筆は踊りはじめる。 (大倉 宏)
●同時期開催● アンティエ・グメルス 絵とオブジェ展
5月7日(土)〜20日(金)※11日休廊・11:00〜18:00(最終日〜17:00)
会場:画廊Full Moon
(新潟市東堀通4−453 TEL.025-229-6792)
墨絵、水彩ほかを展示

 


 
2005年5月22日〜5月30日 企画 大倉宏

パウル・クレー「川辺の風景」
素描 4.6×10.2cm 1913年

Paul Klee(パウル・クレー:1879〜1940)
■スイス生まれ。ミュンヘン美術学校で学び、銅版画制作に熱中。1914年チュニジア旅行をきっかけに独自の作風を展開。20年より総合芸術学校「バウハウス」ので教鞭をとる。ヒットラー政権の弾圧を受け、亡命先の故郷スイスで死去。

Wols(ヴォルス:1913-51)
■ベルリン生まれ。バウハウスでクレーに師事。32年パリに移り写真 絵画を制作。第2次大戦中は敵国人として戦時収容所で過ごす。47年パリでの個展で注目される。戦後フランスのアンフォルメルの代表的画家。アルコール中毒に侵され数々の奇行により「最後の呪われた画家」とも言われた。

難波田史男(なんばた ふみお:1941〜74)
■東京生まれ。早稲田大学第一文学部美術科で美術史を学ぶ。在学中から個展を開き、早熟な才能を開花させた。74年九州旅行の帰途、瀬戸内海にて事故死。32歳の短い生涯に2000点をこえる作品を残す。

新潟有数のコレクターの一人Nさんは、絵屋の展覧会もよく見に来られる。あるとき画廊にいた私に、表題の3人の絵を、ここに並べて見てみたいのだが――と切り出された。
後でいただいた過去のコレクション展の資料を見ると、Nさんの収集は20世紀の幅広い作家に及んでいる。そこからなぜ、この3人なのか。哲学者サルトルがクレーとヴォルスを比較し、史男の遺稿にはそのことへの言及がある、というようなこともNさんは語られるが、思いつきはもっと瞬間的、感覚的なものだったのだろう。
個性はそれぞれ違うが、内向的な自由を生きた共通点に加え、その絵、特に繊細で思索的で傷つきやすさを感じさせる線に呼び合うものがある。空き地とフェンスに囲まれ、木と紙と土でできた古い町家に作り込まれる絵屋の空気に、そのなにかがふれ、この不思議な三人展をNさんに思いつかせたのだろうか、と想像してうれしくなる。(大倉 宏)
 

 

旧日本銀行新潟支店長役宅の指定管理者公募に応募します

3月27日の「市報にいがた」に新潟市西大畑町(どっぺり坂上)にある新潟市所有の旧日本銀行新潟支店長役宅の指定管理者を公募することが発表されました。
指定管理者制度はこれまで半公的な機関だけにまかされてきた公的施設の依託管理を、企業や民間団体等にも委ねられるようにしたものです。同支店長役宅は保存活用を検討する市の委員会に、大倉代表が委員として参加した経緯もあり、昨年11月には新潟市と絵屋の共催で佐藤清三郎遺作展も開催しました。4月からは改修工事が始まっており、蔵は展示スペースとして改装される予定です。
蔵を活用した自主企画事業も期待されています。現在の絵屋に新しいスペースが加わることで、絵屋としても活動の幅を広げられるメリットがあります。公募があった場合の対応については運営委員会でかねてから協議してきましたが、絵屋としても今回、管理と活用案を提出し、応募することになりました。
5月中旬に管理者選定委員会があり、6月議会で議案が議決されて指定管理者が正式に決まります。

旧日本銀行新潟支店長役宅の指定管理者公募に新潟絵屋・新潟ビルサービス特定共同企業体として応募していましたが、その選定結果が発表されました。

新潟市のホームページ http://www.city.niigata.niigata.jp/
おしらせ
[H17.05.20更新]旧日本銀行新潟支店長役宅の指定管理者候補者の選定結果について
 ↑ の項目に記載されています。

 
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 新潟市にも画廊が増えてきました。絵屋と同じように企画展中心に活動する画廊も誕生し、町の美術環境も確実に変化しています。ただ、画廊間の距離が離れたりしていることもあり、画廊を回遊する人の数はまだ少ないようです。名前は知っているが、場所が分からないという声も聞きます。どの画廊で何の展覧会をやっているか、情報誌にも美術コーナーはありますが、すべての画廊が網羅されているわけではないようです。東京京橋では多数の画廊が参加して、一定期間共同で展覧会案内とマップを発行して、画廊ファンを増やしてきました。また「画廊ツアー」の案内役を買ってでる愛好家も登場し、アートソムリエ(いろんな画廊や絵の味わいを分かりやすく語ってくれる人)という言葉なども使われ始めています。新潟の画廊をより身近な存在にしていくために、NPO画廊として努力できることは、まだたくさんありそうです。

 

とうとう隣のKさん宅も取り壊されました。海風が絵屋を直撃するようになり、風の強い日は絵屋が揺れます。丸裸になった絵屋に遊びにいらっしゃいませんか。(C)


   

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