n e w s p a p e r
1987年8月6日 新潟日報 掲載

私の いま・表現・新潟

       新潟現代美術32人展から・3
 


大島彰(無所属・上越教育大学講師・上越市)

 私の作品の意図はひと口に言って、絵画における空間構造(イリュージョン)の改新にあるのですが、ではこの空間構造とは一体何かというと、実はその説明が非常に難しいのです。その上、現在このようなことを言い出すと、多少時代錯誤的な誇大妄想と思われるのがおちだろうということもあります。しかし、せっかくの機会なので、なぜ説明が難しいのか、そして誇大妄想と思われるのか、この企画展の一環として9日に同会場で開くシンポジウムとも関連しますので、少し書いてみることにします。
 もちろん、絵画を言葉で説明するのは、音楽を言葉で説明するのと同様に困難なことに違いありません。しかしそれとは別に、言葉の持つ拘束力、あるいは実体化していく力は、人々を無意識のうちに、ある指向対象を見つけようとさせることがまずあげられます。そしてそれに類似した形や構図や想念に出合うと、その絵をほとんど理解したつもりになってしまいます。言ってみれば「知識としての美術史」といったところでしょうか。
 一方、近代の前衛主義は、このような制度化された美術史と人々の硬直した視覚に対して、“絵画の自律”という還元的手法で視覚を解体し、また日常的なキッチュを取り入れ、芸術の民主主義化を実践してきました。しかし、現在のように高度に発達した情報化社会においては、その民主主義化は、皮肉なことにあらゆる視覚を均一化、水平化し、デジタルな情報となって実体化してしまう結果となりました。
 このような前衛主義の行き止まりに対して登場したのが、ニューペインティング現象、あるいはインスタレーションブームと呼ばれるようなポスト・モダニズムの動きであることは周知の通りです。そこでは、形骸化した還元的手法と、もはや実体化された指向対象となった、さまざまな形や想念の折衷的な引用・合成が、唯一デジタル化した視覚を撃つ(?)戦略となり、“新しさ”の位相はますます活況を呈しているように見えるわけです。
 しかし、これでは何ひとつ問題は解決していないのではないでしょうか。しょせん解決は無理にしても、せめて問題の所在や、方向ぐらいはこのような転換期に、少しは見えてきていいはずです。見えないとすれば、美術においてポスト・モダンは、単にモダンの延命策であると言われてもしかたがないでしょう。
 振り返って、日本近代美術を思いおこせば、アカデミズムとアバンギャルドという近代主義の両輪となった二頂対立すら、借りものであったという事実は、ますます状況を困難なものにしています。また、中央と地方といった対立項も、中央集権の強化をナショナリズムを補完し、近代化を強固に推し進めた事実は、現在“地方の時代”と声高に叫ばれている現象と、モダンの延命策という点で符牒が合うのではないでしょうか。
 このような状況で、絵画にとって最も察知しにくい空間構造を説明することの困難さは、ほとんど誇大妄想に至る理由となるわけです。しかし、たかが絵の話なのですが、いまだ語られざる新たなゲシュタルトは、「今、ここ」でも生成し続けているのです。そして同時に、大きな喜びと失望があります。
 「私の、いま・表現・新潟」はこのような大きな問題と矛盾の中で、一つのタッチが異化と同化を繰り返し、美術史への問いとなって開いていくことを夢みています。いまだ語られざる“ことば”たちにぜひ耳を傾けてほしいと思います。

「WORK 1987 夏」


私の いま・表現・新潟

新潟現代美術32人展から

霜鳥健二
数見利夫
大島彰
喜多村まこと
前山忠