新潟絵屋のこれまでとこれから

 新潟絵屋は2000年に発足し、17年、企画展を行う民営の画廊として、活動を継続してきました。その間、2005年にはNPO法人に、2015年には認定NPO法人になりました。今後は「NPO画廊としての運営」を基盤としながら、新潟市を主なエリアとしつつ、美術に関わる多角的な活動を長期的に行う「場所」にしていきたいと考えています。
 新潟絵屋の運営の一端を担ってきた一人として、これまでを振り返り、現在を見つめ、これからの展望を語ってみたいと思います。

目次
1 画廊とは
2 画廊の「企画展」は地域の美術の基本単位
3 これまで
4 歴史のある場所と美術
5 画廊の経営基盤
6 絵を生活の中へ
7 画廊の増加と経営の困難
8 これから
新潟絵屋外観

1 画廊とは

 画廊は美術品を展示し、販売する場所です。美術品を商う店であり、ショールームです。同じく美術品を展示する場所である美術館より、規模は小さく、個人によって主宰・経営されることがほとんどです。
 美術品に接することのできる身近で、ささやかな場所です。

2 画廊の「企画展」は地域の美術の基本単位

 画廊には大きく分けて、「貸会場」と「企画展」の二つの形があります。
 貸会場は美術家が、画廊から展示スペースを自費で借りて、会場も自ら作ります。美術家の自己プロデュースによる発表と言うことができます。
 一方「企画展」は展覧会の構成に画廊(画廊を主宰・経営する個人である画廊主)が大きく関わります。
 美術家が「作る人」であるとするなら、画廊主は「見る人」です。企画展は、見る人である画廊主が、作る人である美術家の作品を見、「いい」と感じ、その作品を人々に見てほしい、紹介したいと思い立つことから始まります。一つの個展は作品の選択、展示、案内状の作成と発送、来客応対、作品販売など多くの要素で作られますが、画廊主はそのすべてに関わり、自分が「見て」「感じた」ことを基本に、美術家と話し合い、個展の全体を美術家とともに構成していきます。
 美術は、美術品を生み出す美術家に焦点があたりがちですが、その美術品の「価値」を評価し、社会化していく人間の営みが一方にあって、創作物が「美術品」として、美術家が美術家として、社会に認知されていくという過程があることを、忘れてはなりません。
 美術の世界における評価は、これまで「公募展」というコンクール形式の、スポーツでいうならば競技会にあたる展覧会が大きく担ってきました。コンクール形式の評価は、もちろん今も機能しています。しかしその弊害もいろいろ指摘されています。弊害の一つは、全国規模の公募展の開催場所が、限られた大都市に集中し、そこで評価された「価値」が、それが開催されない地域にも広げられた結果、価値を生み出す大都市である「中央」と、価値を受容する「地方」という二極分化が生じ、大都市以外の地域では、美術の評価を自ら主体的に行う作業が減退してしまったことでしょう。また、一つの作品で「競う」ことが評価につながるため、一人の美術家の複数の作品を、ほかから切り離してじっくり見ることで伝わる作品の価値が、見逃されがちであるということもありました。
 画廊の企画展は、規模は小さいながら、そのはじまりが、画廊主という、その地域に暮らす一個人である「見る人」の主体的な判断にあります。その点で、画廊の企画展には、失われた、あるいは減退した地域での主体的な評価活動のささやかな回復という重要な意味があります。また一人の作品を、ひとつの場所で、まとまって見る機会を生み出すことで、公募展ではすくいあげられない価値を発見できる機会にもなります。
 美術は高い質の創作物を生み出す「作る」人と、それを評価し、紹介する「見る人」の出会いから生まれるとするなら、その出会いに始まる、一人の美術家の価値をトータルで伝えようとする画廊の企画展は、「地域の自立した美術の基本単位」だと言うことができます。その地域の美術家が、その地域で評価され、その地域に知られていくという、大都市の価値観に一方的に従属しない地域の美術の健全な姿の原点が、画廊の企画展にあると考えます。

3 これまで

 新潟絵屋が2000年にオープンした当時の、新潟市の状況は、画廊の数が少なく、画廊の企画展に接する機会もたいへん限られていました。
 そうした中で「見る人による、見る人のための、見る人による企画展空間」という、今振り返ると少々大仰なキャッチフレーズを掲げて新潟絵屋がスタートしたのは、画廊の企画展の原点が「見る人の主体性」にあるという強い思いからでした。「企画展」だけを行う/企画展の「企画者」の個人名を案内状に明記する/個展案内である「絵屋便」に企画者の文章を載せる、など新潟絵屋が選択した方式も、開催される個展が、美術家という「作る人」と、企画者という「見る人」の共同作業で生み出されていることを、個展の開催を知り、実際に見に来る人々に知ってほしいと考えたからでした。
 新潟絵屋は大工、家具職人、文化イベントプロデューサー、デザイナー、写真家、雑誌編集者、建築家、俳人、美術評論家などさまざまな職業の9人の共同運営でスタートしました。それぞれが自分の「企画」を提案し、美術家とともに実施し、また9人以外の「見る人」が企画者になる企画展の開催も可能となる場所にしていきたいという意味をこめて、「企画展をサポートする空間」と呼んだこともありました。「新潟絵屋」の役割は、企画者と美術家という個人が出会い、一緒に企画展を作り上げていく、「主体的な個人たちの営み」をサポートすることでありたいとの思いがありました。
 複数の人間が持ち寄る企画によって、月3回の企画展を継続していくことは、東京の銀座のように、個性豊かな画廊主が経営する画廊が数多くあつまる場所を、一つの画廊で体現しようとした、いささか無謀な試みでもありました。

4 歴史のある場所と美術

 ほかの面についても、語りたいと思います。
 新潟絵屋は新潟下町という古い町屋が多く残る一角に、大正期の町屋の店舗部分を改装して展示室を作りました。そもそもが古い情緒の香る新潟の「下(しも)」に、場所としての魅力を感じたメンバーが抱いた、歴史を刻んだ建築物という魅力ある場所に心引かれる作品を展示することで、場所と作品の魅力が響き合って生まれる場を作りたいとの願いがありました。建物の古さがはっきり見えるようにし、木造の空間の魅力と外と内がやわらかくつながる日本建築のよさも同時に感じられる、そのような「企画展の空間」を作りたいと願いました。
 呼びかけに応えて下さった多くの方々の助力を得て、そのような器(展示室空間)を実際に生み出すことができたことが、画廊の個性となり、継続の推進力にもなりました。500回を越える美術家の個展を開催してきましたが、その都度、まったく新しい場所が生まれたと感じることができたのは、作品の力であると同時に、この展示室空間の魅力でもあったと強く感じています。
 歴史的建造物と美術品の響き合いは、後に新潟絵屋が指定管理者の一員として関わるようになった砂丘館でも、新たに試みられていくことになりました。

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5 画廊の経営基盤

 もう一つは「商」行為に関わる側面です。
 画廊は冒頭でも書いたように美術品という「商品」を提示するショールームであり、それを実際に販売する商店でもあります。美術館(とくに公立美術館)と画廊の大きな違いも、そこにあります。公立美術館は純粋に美術文化を支え、創造する施設であり、画廊は美術品の販売によって、美術を利用して利益を追求する民間企業であるという単純な見方をされることもあります。
 画廊の経営基盤は先に書いた「貸会場」と「企画展」では異なります。貸し会場は場所のレンタル料金を主な収入源としますが、企画展は画廊自らが展覧会を主催するため、そのようなレンタル料金が基本的にありません。何が経営の基盤になるかと言えば、美術品の販売であり、その販売利益です。
 美術品は、生活必需品とは異なり、継続的な需要は少なく、なかなか販売が難しい商品でもあります。美術家の作品の魅力を、魅力ある場所で、より効果的に伝えようという気持ちで構成される企画展会場は、販売を主目的で構成される展示会場とは異なり、購買意欲をかきたてるのではなく、鑑賞行為に没頭できるように配慮された空間であることが、商行為の成立をさらに難しくする悩みも、商店としての画廊は抱えています。
 新潟絵屋は画廊の少ない新潟市で、絵を販売することだけを経営基盤とする困難を見通し、「企画展をサポートする空間」の実現と維持が、地域の文化に貢献する公的価値を持つという考えを訴え、会員(正会員・賛助会員・寄付会員)の会費収入をもうひとつの経営基盤とする方法を選択しました。その会員の方々の力で、これまでの継続がなんとか可能になりました。

6 絵を生活の中へ

 新潟絵屋は、しかし、絵を販売するという「商」行為を、利益を得るという面とは違う側からも捉え、考えてきました。ほかの画廊やほかの商店でも同じ面があるのだと思いますが、絵は買われることで、個人の生活の中へ入っていきます。「美術品」は美術館や展覧会で見る、遠い、高尚なものという感覚を持つ人がまだまだ多いのですが、実際に生活の場で絵に接すると、絵はまた違う、親密な声で語りかけてきます。それは生活の質が、より豊かに変わることでもあります。
 私たちは絵を売ることを、絵が生活に入っていくことだと考えました。画廊の展示室を土壁や格子戸や漆喰の壁など、日本の家(生活の空間)につながる内装としたのも、画廊の営みが、販売を通じて、生活の場に絵をつなげていくことでもあると考えたためです。
 販売行為には、そのように美術を鑑賞する空間を多様化していくという大切な意味があると、いまも考えています。だからこそ単純に「売れやすい」絵ではなく、自分(企画者)が「いい」と心から思える絵を、企画展によって、画廊に展示しつづけていくことが重要なことだと考えてきました。
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7 画廊の増加と経営の困難

 新潟絵屋が発足して17年。新潟市には、美術に関わることでも、さまざまな変化がありました。
 そのひとつに画廊の増加がありました。画廊を訪れ、回遊する人々が増えてほしい、また、そういう人たちへの手助けとなればとの思いから作り始めたのが「新潟島とその周辺 ギャラリー&ミュージアムマップ」の発行でした。画廊の展覧会情報を掲載したマップを毎月発行しつづけて、まもなく10年になります。
 月に3回という企画展を続けることは、新潟絵屋というひとつの画廊の中に、多様な画廊がある状態にしたいということだったと書きましたが、民営画廊の増加によって、実際に新潟市は多様な画廊が独自の活動を行う状態になりました。2000年のスタート時とは状況が明確に変化してきたということです。それはほかの画廊と新潟絵屋の違いは何かが、見えにくくなってきたということでもありました。
 どの民営画廊も困難な状況で経営努力を続けているなかで、会費や寄付を基盤とする新潟絵屋のあり方への疑問が、素朴に問われることも増えてきました。
 そのような現況をふまえて、これからの新潟絵屋のあり方を、考え直さなくてはならない時期になりました。
 NPO法人となり、またパブリックサポートテストというハードルを越える努力をして、認定NPO法人の認定を得たのも、今後の新潟絵屋のあり方を見据えてのことでした。認定NPO法人は、寄付者への税制優遇があります。具体的には確定申告により寄付金の一部が還付されます。それによって「寄付が集めやすくなる」という、NPOを税制の面で支援する制度です。
 しかし認定NPO法人になっただけで、寄付が集まるということではなく、活動の「公共性」を訴え、寄付を集めていく努力が必要です。そのためにも、新潟絵屋とはどのような活動をしてきたのか、していこうとしているのかを、明確に伝えることが、より一層必要になってきました。
 企画展を行う民営画廊としてスタートした新潟絵屋が、より「パブリック(公的)」な活動体となることを選択したということでもありました。
 しかし実際には、活動内容を大きく変えることが、すぐにはできませんでした。ほかの画廊との違いを大きく打ち出すことができないなか、寄付の呼びかけを行う難しさも実感しました。そして長引く不況のなかで、絵の販売はさらに難しい状況になり、経営状況からも、これからのあり方を、あたらめて考えなくてはならない事態に迫られました。

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8 これから

 17年がたち、数も増え、内容も充実してきたほかの民営画廊との差異と、寄付を求める根拠としての「公的性格」をもっと明確にしていかなくてはならないのですが、劇的な変化は、簡単にはできません。しかし徐々に、将来の新潟絵屋像に向かって、脱皮をしていきたいと思います。
 そのことをめぐって、メンバーたちと議論をすすめていますが、これまでの話し合いで合意されてきた、今後の新しい方針を記します。

 一つ目の方向は、美術家を志す人々への積極的な支援です。

 そのために創設を考えているのが「オープン絵屋」です。新潟には美術系の大学や学部があり、専門学校がいくつもあります。そういう場で学んでいたり、またそのほかの場にいても、美術の表現者を目指したいと考えている人々に、新潟絵屋を開いて(オープンにして)いきたいと考えます。
 厳しい経営状況から、当初は「貸会場」のように、個展やグループ展を行う方々から会場費を支払っていただく形をとらざるを得ませんが、その場合でも、画廊の担当者が、企画展の企画者のように、作家たちとともに展覧会を作ることで、画廊での発表ということの意味と魅力を、美術家を志す人たちに伝えていきたいと思います。画廊で個展で発表する環境作りの一環とも捉えたいと考えます。

 二つ目の方向は、これまで新潟絵屋が指向してきた「生活と美術」の関わりを深める活動です。

 具体的に現在構想しているのは「絵画と場所のコーディネート事業」です(すでに「eto」の名称でホームページなどでの広報を始めました)。新潟絵屋のこれまで関わってきた画家たちの絵を、希望の場所にコーディネートさせていただき、身近な場所で絵に接する機会を広げる活動としていきたいと思います。

 三つ目の方向は「企画展」のより一層の充実です。

 これまでも、一人ひとりの企画者が、美術家と共に充実した企画展を開催してきたという自負はあるのですが、月に3回というペースに、いささか無理があったのではないかと感じるようになりました。当初は、さまざまなメンバーが企画者になり、多様な企画展に接することができる場になっていましたが、近年はそのメンバーたちも本業に時間をとられることが多くなり、企画者に偏りが見られるようになりました。その結果、個人経営の画廊との差異が一層見えにくいことになってしまいました。
 今後は企画展の数を減らし、会期を長くし、一つの企画展によりじっくり、余裕をもって取り組み、広報や美術家と鑑賞者の交流にも、これまで以上に力を注ぎたいと思います。また独自の視点を持つ方々に委嘱する企画展をもっと増やしていくことで、企画の多様性を広げ、個人が企画する展示を行う場でありつつ、その個人が経営する場ではないという新潟絵屋のあり方を継続します。指定管理に関わる砂丘館やギャラリーみつけなどとの連携も生かしながら、ほかの民営画廊では実現の難しい美術家や表現の紹介も、より積極的に行います。

 四つ目の方向は、美術に関わる多様な事業の展開です。

 これまでは展示室の一角にある売店で、新潟絵屋で展示をした作家たちの協力を得て、カレンダーや便箋などを制作し、販売してきました。今後はさらに、美術に親しんでもらい、美術家の魅力をもっと身近に感じてもらうための印刷物、グッズ類などの制作や、美術家と共同して行う事業にも取り組みます。将来的にはデザイン部門も創設し、新潟絵屋のこれまでの経験を生かし、美術に関わる出版物の制作なども手がけ、より多くの人たちに美術の世界に目を向けてもらうきっかけを生み出していきたいと思います。また美術家によるワークショップなど、美術や美術家との交流事業もより積極的に行っていく予定です。

 経営の基盤としては、これまで会費と寄付金収入、そして作品の販売収入を両輪としてきましたが、今後はここに書いたような新たな展開で、収入源のさらなる多角化を目指します。

 それでも、会費と寄付金収入が、経営基盤の大きな柱の一つであることは変わりません。これまで、会員の方々に新潟絵屋の活動内容や、新潟絵屋のメンバーたちが考えていることを十分にお伝えしきれていなかった面がありました。今回のアンケートの実施で、新潟絵屋を支援して下さってきた方々にも、それぞれの思いや意見があることを、あらためて感じました。
 支えて下さってきた方々との両方向のコミュニケーションを、これまで以上に心がけるよう努めていきながら、新潟絵屋の活動についてご理解いただける方々を、増やしていきたいと思います。

2017年5月
大倉宏(認定NPO法人新潟絵屋代表)
これから新潟絵屋