新潟の画家たち[後期] 熊谷喜代治展

6/17[月]―30[日]

vol.576

 熊谷喜代治は、自宅で絵を教えていた。そこから巣立った新潟の画家も多い。4月の「没後一年 長谷川徹展」には、彼が熊谷の家で描いていた小学生時代の絵も展示した。先生(熊谷)をモデルにしたらしいよく描きこまれた人物像の下に、丁寧に書かれた評があった。絵への情熱はこんなふうに伝えられていったのではないか。戦前の新潟県展に反旗を振りかざし独自の公募展を主催、「デッサンの歌」を歌いながら市内を行進したというエピソードもある。教育にも制作にも熱い人だったのだ。
 その熊谷の残された絵の本領は、ガラス絵にある。と書くと、いまは亡き画家は不満に思うかもしれない。渾身の力で取り組みながらも、重さを拭いきれなかった油彩画より、自在で、いかにものびのびした筆致のガラス絵に惹かれる私がいる。
 今回の準備中に、一点ガラス絵と見紛う、魅力的な油彩の裸婦像があった。車に運びいれてふと裏を見ると「絶筆」と記されていた。ガラス絵と油彩画がこんなふうに溶け合ったところで、画家は逝ったのだった。 (企画:大倉 宏・小見秀男)

PHOTO(右): 熊谷喜代治 「赤い服の女」 ガラス絵 23.0×16.0cm
PHOTO(左): 「横たわれる裸婦(絶筆)」 1987年 油彩/キャンバス 28.0×33.5cm


熊谷喜代治(くまがい きよじ)
1912年中蒲原郡石山村(現新潟市)生まれ。旧姓加無木。35年新潟師範学校卒。在学中は諸橋政範の指導を受ける。小柳俊郎らと新潟油彩画協会を結成。41年結婚し熊谷姓に。戦後児童画教室を開く。49年頃からガラス絵を制作。70年小学校12年、中学校に23年勤務し退職。73年小田急ハルクでガラス絵展。81年富川潤一らと無限会結成。88年没。89年「新潟の絵画100年展」(新潟市美術館)に「赤いマフラーの女」が出品される(現在同館に収蔵)。90年遺作画集刊行、新潟伊勢丹で遺作展開催。

 熊谷喜代治

PHOTO: 題不詳(花) ガラス絵 23.0×16.0cm


新潟の画家たち 前期 
6/1[土]―13[木]
斎藤応志・鉄臣展

新潟の画家たち[前期] 斎藤応志・鉄臣展