5/2[木]―10[金]
niigata eya exhibition 573
若槻菊枝さんの新潟絵屋での個展は2007年6月。上大川前通りでのリニューアルオープン2つ目の企画展だった。真っ赤な服を来て車椅子で画廊にこられた菊枝さんの姿を今も思い出す。菊枝さんは3年後に94歳で亡くなった。夫の登美雄さんから、菊枝さんが持っていた峰村リツ子さんの絵を、以前「峰村リツ子展」を開いていた(2013年 砂丘館同時期開催)絵屋に寄贈したいとお申し出いただいた。
菊枝さんと峰村さんのつながりが意外だったけれど、なんと峰村さんは菊枝さんの肖像も描いていたのだった。峰村さんが晩年個展をしていた現代画廊に登美雄さんはよく通ったという。新潟から東京に行き、それぞれ独自の人生を歩いたふたりが出会っていたということ、菊枝さん所蔵の絵が、菊枝像以外すべて裸婦であることが面白い。肖像、風景、裸婦は峰村リツ子の3大モチーフだが、なんと言っても裸婦の魅力が突出していると私は思っている。菊枝さんと意見が一致した。絵のセレクトがまた実に心憎い。何もまとわない女たちのなんとも明るく屈託ない体の表情に、空気に、菊枝・リツ子の自由な人生が重なって見える。 (企画者:大倉宏)
峰村リツ子(みねむら りつこ)
1907年新潟市の沼垂に生まれる。生家は味噌の醸造業。10代後半に東京へ行き、太平洋美術研究所で油絵を学ぶ。野口弥太郎、里見勝蔵、児島善三郎らの指導を受ける。女性の油絵画家の草分けの一人。戦前は1930年協会展、二科展、独立美術協会に出品。34年三岸節子、桜井浜江、佐州敏子らとグループ女艸会を結成。戦後は女流画家協会、自由美術家協会等で発表後、70歳を越えてからは主に個展で発表。洲之内徹のエッセイ「気まぐれ美術館」でもしばしば紹介された。93年朝日ギャラリーで自薦展を開催。95年没。
PHOTO(上から): 「マダム・ノアノア」 制作年不明 油彩/キャンバス
100.3×80.0cm(自由美術展出品作)
制作年不明 油彩/キャンバス 41.0×31.8cm
制作年不明 油彩/キャンバス 22.7×15.8cm
『若槻菊枝 女の一生 新潟、新宿ノアノアから水俣へ』
奥田みのり・著(熊本日日新聞社)/税込1,620円
若槻菊枝(わかつき きくえ)
1916年新潟市(旧大形村)生まれ。26年木崎村無産農民小学校に入学するが1日だけの登校。35年上京。50年新宿にバー「ノアノア」を開店。画家、彫刻家の客が多く、自身も制作を開始。52年笠置季男氏(彫刻)の指導を得る。55年二科展彫刻部門、57年絵画部門へ出品、その後常連となる。98年に体調を崩すまで創作活動を続け、個展開催多数。日本美術家連盟会員。2010年没。